しょーや

僕たちは希望という名の列車に乗ったのしょーやのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

自分はすごい好き。タイトルも超好き。そして実話ってのがびっくりした

何も考えずに見たいって人は多分退屈するかなーって思う。当時のドイツの状況を考えて見ないとあまり楽しめないと思う。

第二次世界大戦で負けたナチスドイツがソ連の植民地になった頃の東ドイツでの話。
当時の東ドイツの国民たちを労働者として使うべく、社会主義という考え方、価値観をソ連が植え付けていた。
映画や他の国のニュースなどいろいろな物を規制され、不自由な生活を余儀なくされる。
もちろん、異議を唱える人もいたが、そのような行為は反革命とされ、罰せられる。そのため、東ドイツの国民はソ連の政策に従うしかない。
東ドイツの国民はソ連に従い生きていくことになる…。

◯映画内での主人公たちの通っている高校

学校の授業中、社会主義について、政治について勉強させられる場面がほとんどだった。そして良い子に育っているか常に監視され、不穏分子は即刻退学処分という脅し付き。
もはや学校は洗脳するためのものに成り果てていた。

でもこういった無理な価値観の押し付けは気付いていないだけで考えると日本にも沢山ある。
日本人が他の国と比べて真面目で規則を重んじるのは幼少期から通っている学校の在り方の現れなのかもしれない。

時間通りに学校に行かなければならない。
真面目に宿題をやらなければならない。
授業中寝てはいけない。etc...

今の日本の学校は良くも悪くも社会のためにあるような気がする。
学校はなんのためにあるんだろう。
社会のためなのか、
僕ら一人一人のためなのか。

◯映画内での社会全体

親たちは基本的に精神が擦り切っており、母親は生気が抜けたような雰囲気で父親は堅物で社会に忠実な犬のように描写されていた。
その社会に忠実なものほど昇進する。不満があってもペコペコする。
「仕方ないんだ」と自分に言い聞かせて。
そんなストレスや不満から父親は家族にあたる。そしてそれが母親の心を蝕んでいく。そのような社会のルールに縛られながら暮らしているから父親は息子も同じように縛る。
この連鎖で当時の東ドイツの社会は成り立っていた。


子供というものは親の生きている社会に合わせて育てられ、大人になっていく。
これが普通と言われれば疑うこともない。
普通というものが怖いとまで思った。
社会というもの自体が宗教のように見えた。

◯アナーキー(無政府状態)は国家の敵

主人公たちは政府に従うことを拒否して、自由に考える道を選ぶ。
国家が一番嫌いなのがアナーキー。
なぜなら自分たちの思い通りにならないから。主人公たちは家も国も捨てて、東ドイツから隣のソ連の支配下ではない街に列車に乗って旅立つ。自由を求めて。

家族とは二度と会うことができないし、
見慣れた街の風景も見ることができない。
そんなしがらみを超えて列車で旅立つ姿にしびれた。そして彼らの顔は希望に満ち溢れていた。

国は人を束ねるためのもの。
人と人とを縛るためのヒモ。
だけど、人や動物を完璧に縛ることはできない。暗ければ暗いほど、光は明るく輝くように、縛れば縛るほど、自由になりたくなるものなんだなと感じた。

この三つが自分的にこの映画の肝となる部分だった。

「アクション映画とかの激しい面白さではなく、静かな面白さのある映画だった」
しょーや

しょーや