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アストラル・アブノーマル鈴木さんのeyeのレビュー・感想・評価

3.7
アストラル・アブノーマル鈴木さん (2018)

非常に奇想天外 そして クレイジー

この映画は 壮大な"自己意識"

"私" という "意識の塊" が描かれている

そもそも世の中に 真っ当な人間・普通な人間
なんていやしないし 言うならば 普通もない 

必ずどこかはズレているのが人間

物語の主人公グレートYouTuber 鈴木ララ は
宇宙的(アストラル)に意識をこじらせる

異常性(アブノーマル)な部分といえば
共感無・自己中・高圧・威圧・攻撃的

などなど、、、

推測するに "鈴木" という役名は
日本で大多数存在することから

"大多数の人が意識を拗らせてる"

と掛け合わせてる
世の中へのメタファーと考えられる

「メディアは嘘つく生き物だ!」
「YouTuber 舐めてんじゃねぇぞ」

などなど 威勢はとてもいいけど
トコトン ズレて暴走している

一方でどこかユーモアがありつつも
日が当たらない自分に苛立ち

常に社会に中指を立てている

そして自身の運命を呪う
シニカルなキャラクター

さらに

YouTuber やってる割に 
夢や目標は特になく

自己意識・承認欲求はそれぞれ100%超え

地方で もがく人のドキュメンタリーの
取材クルーからは拗らせを目の当たりにされ

>あんたみたいな子
>よくいるタイプだから

と一蹴される始末

対して

双子の妹であるリリ 
リリは姉の夢を体現した人物

妹が芸能界で活躍する姿に不条理を感じ
選ばれなかった意識をさらに拗らせる

姉-妹の構図ではあるけれど
同一人物が演じてることから

"なっちゃんはまだ新宿" (2017)にも見られた
ある種のAlter Egoがこの作品でも見られる

通常の自分を見つめつつ願望充足的な
もう一方の人格を表現する

表裏一体の芸術

劇中 塾生徒であった女子高生 望月が
『記念に』と称するところに始まった
ギターと歌の演奏動画

結果として望月はSSWとして成功してしまう

彼女が他人の承認を得られたのは

"普通"を積み重ねて 表現を磨き上げたから

動画を撮っていたときに映し出された

"圧倒的な表現" 

に眩しく涙してしまう ララ

塾生である望月はやがて羽ばたき

それが "才能" になった結果

皆んなに幅広く共感されることになる

ブランドも
エスカレーターも
Wi-Fiスポットもない

北関東の田舎という
環境が問題なのではなく

YouTubeのチャンネル登録してくれる人が
いないことが問題でもなく

肥大した自己意識が
自由にそして解放される中で

自分と真摯に向き合うことが
必要であるということ

それを体現するラストシーン

ダンススタジオの鏡に映し出された
ララの"コンテンポラリーダンス"

人間の意識を捉える中で本来の昇華の仕方を
実験的に掘り下げていくのが良い

自分に希望がなかったのは
単純にそう思い続けてたから

リリ や 弟ルルオの成長からララ自身も
"正解" じゃなく "答え"を見つける

他の物事を照らし合わせたときに
"正解" は導き出されるけれど

"答え" というものは 自分で見つける

それを見つけたララは人間として
成熟したレベルに成長している

この域はもう他人と自分を比べる必要も
ないし 拗らせる必要もない

"普通" ってやつが1番難しい

けれど ある意味 そんな"普通"を見つけて
アイデンティティを確立していくストーリー
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