消費者

オオカミの家の消費者のレビュー・感想・評価

オオカミの家(2018年製作の映画)
4.8
・ジャンル
クレイアニメ/風刺

・あらすじ
ドイツ人達がチリ南部に築いた村、コロニア・ディグニダ
大自然に囲まれた環境で人々は“助け合って幸せに”というモットーの元で慎ましく暮らしていた
隔絶されたその場所で課される厳しい規則やお仕置きに耐えかねた少女マリアはある晩に脱走
隠れ家を求め森の中にある一軒の家に辿り着く
そこには人は誰もおらず、彼女は自分と同じ様に逃げてきた2匹の子豚と共に過ごし始める
やがて彼女は自身の持つ“魔法”の力で子豚達を人間へと変身させ3人は家族となっていく
だが自由な居場所を手にしても尚、マリアの中では自分を追うオオカミの影がちらつき続け…

・感想
チリ南部に実在したカルト教団の独裁コミューン”コロニア・ディグニダ“を題材に脱走者の少女が味わう苦しみと恐怖を描いたクレイアニメ作品
日本では昨年公開の話題作
まず背景にあるコロニア・ディグニダやその指導者パウル・シェーファーについて簡単に説明しておくと…

少年達への性的虐待が露見した事でドイツから追放された元ナチス党員でキリスト教団体の指導者であったパウル・シェーファー
彼は各地を転々とした末にチリへと辿り着き教団施設“コロニア・ディグニダ”を創設
独裁的な管理体制や性的虐待、無給の強制労働、拷問等を自由に行える環境を築き上げた
外界から隔離されたこの地には法の手も長らく及ばず、それを利用して食糧難に喘ぐチリで人権派の大統領として活動していたサルバドール・アジェンデ政権への軍事クーデターを軍と共謀
軍事政府の大統領となったアウグスト・ピノチェトを始めとした有力者達に武器提供等の支援を行うと共に彼らの敵である共産主義者達の拉致や処刑に手を貸したとされている
コロニアはシェーファー逮捕と共にそれまでの体制こそ崩壊したがビジャ・バビエラという観光施設として未だ存続されており、当時の教団側に就いていた人間も政界に居座り、今でも発見されていない行方不明者も多数存在
現在もチリは教団及びピノチェト政権の余波を受けている

こうした歴史を元に製作されたのが本作
「コロニアの子供たち」や「コロニア」等の映画
Netflixのドキュメンタリー「コロニア・ディグニダ」
これらを観ると詳しい当時の状況が分かり本作の内容を理解する手助けになると思う

それらを観て予習した上で本作を鑑賞したけどなかなかにおぞましい世界観だった
本編開始前に流れる映像から恐らく本作は教団が入植者達に脱走への恐怖を煽る目的で製作したプロパガンダ映像という設定となっている事が伺える
教団では実際に外界への恐怖を煽る為にホラー映画を強制的に子供達に見せたりしていたらしいのでそれも恐らく意識していると思われる
そして本編では脱走者であるマリアが自らの手で人間へと姿を変えさせた2匹の子豚達と家族として暮らしていく
この子豚は恐らく教団がチリ人の貧困層の子供達を家族から引き剥がし取り込んでいた史実からチリ人の子供達のメタファーなのだろうと思う
マリアは献身的に彼らの世話や教育を行うがコロニアで自らが“おばさん”達にされたそれしか知らないが為に洗脳や虐待にも似た育児を無意識にしてしまっている
更に自由の身となっても尚、シェーファーの比喩としてのオオカミの幻影に囚われ続けていた
これが実に恐ろしくコロニアに限らずカルトや独裁国家で育った人々に根深く残る影響を巧みに表現している
また人と化した子供達はやがて白人的なビジュアルになっていたのもマリアの思う“立派な”人間というのが教団に叩き込まれたドイツ系白人の姿が反映されていたんだろう

こういった風刺的比喩に満ちた悪夢の様な映像表現が最後まで続いていき、その現実離れした世界観はマリアの生きる現実だけでなく心象風景も描いている様に見えた
教団は入植者達に意図的に都合の悪い部分を省いた教育をしていた
だからこそ外の世界に住む人々の様に現実的な世界の捉え方をまともに出来ない
そんなマリアの作った機能不全家庭で育った2人の子供、ペドロとアナもまた貧困やマリアへの不信感から怪物の様な所業に手を染めようとしていくという…(この展開も北朝鮮では飢饉の中で食人が行われていた過去があるらしいのでぶっ飛んでいる様でリアル)

どこまでも救いがなく抽象的な表現だからこそ、ただ現実をそのまま描写しただけでは伝えきれない閉塞感や歪な感覚などが強烈に映し出されていたのがとにかく興味深かった(実際、前述の映画2作だと本作ほど克明に入植者達や連れ去られたチリ人の子供達の内面を伝えきれていなかった)

こうした作風と世界観は台湾ホラーの名作「返校」に近しい物がある
本作はそちらと違い終わり方も絶望的だったものの過去を無かった事にせず現在にも地続きの問題が残っているし忘れてはならない、と伝えている点は共通している

事の背景を知らずとも本編終了後の解説映像でも触れられていた監督達も影響を受けたというヤン・シュヴァンクマイエルを思わせるアニメーションの良い意味での厭さを楽しめはする
でもやっぱり予備知識をある程度蓄えた上で観ると感じる物が大分変わってくるはずなので多少の予習は必須かな、と
例を挙げると終盤で初めてマリアの姓が明かされていたのも実際に教団では親子が引き剥がされ苗字を知らずに育った子供がいた事実があったり細部まで凝った内容なので

何はともあれ久々に凄い物を見せられたなぁ、という感じ
ラース・フォン・トリアー監督の様な考察を求められる胸糞な世界観やアリ・アスター監督の様な狂気を煮詰めた様な作風が好きな人にはハマると思う
消費者

消費者