その作家が撮らずにおられない題材に然るべき時の出逢った事から零れ落ちたような恐ろしさ 万田邦敏『接吻』
出逢いは残酷な悪意に満ちている。
その作品がその作家の作品系譜で最高傑作でないにしても、それを残すために映画監督になったような作品が存在します。
例えば
三隅研次『桜の代紋』
増村保造『曽根崎心中』
曽根中生『私のSEX白書 絶頂度』
阪本順治『トカレフ』
北野武『ソナチネ』のように。
共通しているのは撮らずにおられない題材に然るべき時期に出逢ったに違いない、と思える事。
こればかりは才能に欠ける者がいかなる努力をしても追い付きようのない残酷なもの。というより、才能を有するが故に訪れる残酷なもの、です。
小池栄子がある一線を踏み越える才能が開花したのはまさにこの時期に豊川悦司の存在を認めてしまった事に尽きます。
事実、彼女がその日、テレビで報道される事件を知らなければ、連行される豊川の瞳を観なければ、おそらく一生、都合のいい陰日向の女として過ごしいたはず。
仲村トオルが心配だ、と言う、文字通り、その一途さが小池栄子の才能に他なりません。
本作には観ている私たちにストレートに迫るラストシーンの背後に(真)の衝撃が隠されています。
ネタバレなど平気でする分別に欠ける私ですが本作に関してはその欲に抗い、ぐっと堪えます。
悪意に満ちた出逢いの残酷さを孤独に堪能下さい。。