またしても母の不在。こういったことを掘り下げてみたくもなるが、作者のパーソナルな部分が理由だった場合に、いかなる批評も無効化されるが(心理学的なものになるし…)、母の不在というのは、それだけで一気に子ども向けの作品ではないですよ、とのアピールになる気がする。ポケモンでさえ、母が度々登場し、怪傑ゾロリでは幽霊なる母が登場する。彼女たちは主人公を陰ながら支える存在となり、精神的に大きな役割を果たしている。心に帰ってくる場所が用意されているのである。その存在の不在が『天気の子』では顕著であるが、結局は主人公の男の子には帰る場所があったという事実に、結末がどうであるとかは置いといて、救われる人もいるのだろうなと思う。あえて暗闇を用意する必要がないというのが、全年齢を対象にした物語として約束されたハッピーエンドだと思う。
そして、何より『君の名は』はでは顕著だった「ネジの外れたアオハルウォン・カーウァイ」感が失われていたのが残念だった。少しだけ残っていたのが意地らしくて、これが作家性であったなら俺は新海誠が好きだったのに、と残念だった。『すずめの戸締まり』ではどうなるのだろう。