Yumyum

天気の子のYumyumのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

びっくりするほどつまらなかった。

観るのに1週間くらいかかっちゃった。
何をつたえたくて、何がいいたかったんだろう?
自分にはわからなくて、一方的な"男の(社会に対する)ルサンチマン"を投げつけられた、みたいな…どこか置いてけぼりにされたような気分になる映画だった。

単純に私のような人間が客層じゃないんだろうな、ことはわかって本当に良かった。

物語をつくる上での一番大事な肝である「主人公には何がなくて(足りなくて)何を勝ち取りたいのか(得たいのか)」という「目的」がまっっったく描かれていないので終始「???」だった。

自分がシド・フィールドの脚本術のシリーズ本だのアーシュラ・K・ル・グウィンの執筆についての本だのの「脚本術」の書籍を一時期読み耽ってた人間なので余計に引っかかった。プロの作品なのに基本のキが見えない…みたいな…

で?主人公(男)は何から逃げたくて、何が苦しくて、何が辛くて故郷を飛び出し、何を学び、何を得たの?何が変わったの?

変わる前(故郷での暮らしぶり)が描かれていないのでマジで比べようがなく共感もできず、スッキリもしなかった。

少年少女たちへ、というメッセージの皮を被った"男の憧れ(ロマンチズム)"を詰め込んだ映画だなーという印象

・なにももたない傷ついた俺にやさしくしてくれる女
・特になにもせずドリンク飲んでた俺に気づいてくれる女
・俺の助けを必要としている不幸な女
・女のために頑張る俺
・俺を受け入れ共感してくれる女
・都合よく死にかけてくれる女
・死にかける女を助けにいく俺
・俺を阻む警察官に銃を突き付けちゃう俺
・警察につかまるもやらかす警察官ばかりで逃げきれちゃう俺
・女を助ける俺(激エモな曲)
・女を手にいれる俺

松田青子氏の"女が死ぬ"という短編小説に書かれてたまんまのテンプレだな…と思った。
「(男の成長の)物語のために女が世界の人柱にされて、女が死にかける」
女がトロフィー(男の試練の褒美→トロフィーワイフ)にされている。

正直、女より男のが夢みがちというか…よく女は男から「白馬の王子さまなんて来るわけねーだろ、待つだけムダ(笑)」とバカにされがちだが、リアルに「白馬の王子を待ってる女」って5%もいないと思うし(少なくとも自分の周りで見たことはない)、現実は男の方がMPDG(マニックピクシードリームガール)を待ってる人が多い印象だなと思う。
(こちらは自分の周りでも度々みる「あの店員の女性は俺に気があるに違いない!なぜなら俺だけに割引のクーポンをくれたから!」→「そりゃあんたが◯◯セットを頼んだからだよ、このセットを頼むと期間限定でクーポンが貰える仕組みになってんだよ」→「女の嫉妬はよせ!」→「…(認知が歪んどるしフィクションのMPDGを本気で信じとるヤベー奴だ…)」みたいなの…)

こういう作品ってラストはいつもMPDGが男にあてがわれるから…
だから「女」がいない男(俺)は不幸/負け組、って思考の強化に繋がるのかもね。

楽曲や映像美で誤魔化さないで、ちゃんとキャラクターの痛みの核に向き合ってほしいと思った。

エモ消費(搾取)っぽくてなんかめちゃめちゃ冷めてしまった。
(ここに男の良くないルサンチマンを感じてしまった、なにももたない男が女を救って女を手に入れendへの"憧れ"みたいな…)

分かりやすく例えるなら、クレヨンしんちゃんの映画とか、ヒロシやみさえが道路交通法違反や犯罪ギリギリの行為をしても、それは結果「自分の子ども(しんちゃんやひまわり)を守る、助けるため」のアンサーが映画内で示され、かつヒロシやみさえがどんなに子どもらを愛しているかも描かれる。
(「こんなに愛してる子どものためなら犯罪ギリギリ行動、そりゃしちゃうよな」と視聴者に納得させる描写がある)
逆にヒロシやみさえが「自分のためだけ(自分の力を誇示したい等)」に犯罪まがいな行動をすることはない。

しかしこの作品ってどうだろう?あの未成年に拳銃を拾わせる→使わせる→警察官から"未成年が"拳銃突き付けられて囲まれるの件(くだり)いるか?
何も持たざる者の覚悟の壮大さ(?)みたいなのを描きたかったのかもだけど「彼が抱えていた闇(それこそ故郷での暮らし)」が描かれないのでまったくわからんかった。
元々安全装置外れてたん?、外れてたんなら拳銃ぶん投げた時に暴発せんで良かったね?みたいなことしか考えられなかった。
普通に少年院行かないendだし、この世界の倫理観が「?」だった。
まぁ"君の名は"と同じ世界っぽいので未成年飲酒と未成年の性的搾取(消費して商売をする)、未成年の10時以降のバイト等が許される主に未成年への倫理観や社会的善性が崩壊してる世界なので納得っちゃ納得なのかも…

この監督の作品って
「"未成年"を犯罪に巻き込で(または犯罪行為をさせて)かつ"未成年"を生け贄(犠牲)にして世界を救わせる」
しかパターンがないので
「いい大人(監督含め製作陣)が善を叫ぶために未成年(特に制服きた女子)に頼るのいい加減やめませんか…?」と思ってしまう。

最近プロデューサーが未成年買春で逮捕された事件を聞いてから「前作で繰り返し写されるパンチラ」「未成年が大人の男から性的搾取される職場に面接行こうとする」「ラブホ(らしき)にとまらせる」等「未成年の女」に対する製作陣らの執拗な拘りに妙に納得してしまった自分がいる。
「未成年の女」対する(憧れや神聖化含む)認知の歪みがあるのかもな、と思わずにはいられない。

自分は最近ジブリも苦手になりつつあるが(男が"男目線での""少女"の成長物語を描くこと+原作を借りてるにも関わらず原作を無視した作品に仕上げること等)"まだ"ジブリのほうが「主人公キャラクターのバラエティーは豊かでマシ」だと思うよ。

なんでそんな天気の神と繋がれる場所がビルの屋上にあんのよ?とか…

海外絵本の「小さなおうち」のようなビルとビルの間に取り残されちゃってるならまだしも、ビルの屋上ってことは"移動させた"んだから、その移動させた工事業者の娘に呪いという名の神の生け贄特権が与えられちゃう、とかそういうディテールから"納得"させてほしいものだが…

母親亡くなった時点で児童相談所が動かないのも…
亡くなったら死亡手続きしなきゃなので、その手続きで役職や銀行回り葬儀のやり取り(葬儀せずとも火葬はせにゃならんので葬儀場または役所に連絡せにゃならん)は誰がやったのか?父親の存在がないので(この父親消しも都合がよすぎる)わからないが、弟が児童相談所に保護されているところからして父親と連絡がとれない、いないなら親戚がやったとして(そもそも未成年にはていないのでできないよね…"責任"がなく"保証"がないので)子どもが2人いることがわかる→子どもらに会わずとも死亡届け出すときに戸籍でわかるから知らないはずがない→保護対象である未成年を二人暮らしさせた(訪中した)、という大人としての責任の放棄で犯罪なんじゃなかろうか?
そこはスルーなのなんでなんだろうか…

保護しようとした親戚から逃げまわっている姉弟二人が姉のバイト先のホテルで寝泊まりしてる、または公園暮らしや廃墟暮らしで転々としてるみたいな背景のがまだ説得力あったな、と…

どの作品にも共通して言えることだが、まともな大人(未成年者を守る大人)がいねぇのがつれぇ…

あとポテトチップスをわざわざチャーハンに入れて油+油な飽和脂肪酸ましましオイリー飯(個人的にはポテトチップスがしなってにちゃつきそうだな…と思った)にするくらいなら、昔流行ったサラダにポテトチップス入れた方が美味しいとおもうし(ポテトチップスの油=サラダにかけるドレッシングの油の代用かつポテトチップスについてる塩味で味付けできる、これも"しなる"だろうが"しなった"ところでサラダに"ポテト"は合うので…)、サラダにチキンラーメン?砕いてのせるくらいなら、お湯注ぐだけのミニラーメンにしたら良かったのでは?(そしたら単純に飯の量が増える→チャーハン、サラダ、ミニラーメン{ラーメンを半分ずつだから}と思うのだが…)

単純に金に困る=飯に困ってると思うので飯の量が増えれば増えただけよかろうに…と思った。

あと金に困ってるのに生野菜買えるのは単純にスゲーなと(天候問題と合わせて矛盾描写すぎるし…)…豆苗はまだしも、男主人公がレタスもらったんで持ってきた、のがリアリティあったと思う。
ずっと雨降ってて野菜育たない→地方から仕入れ(税の加算)→地方だって雨続きで取れない場合がある(税の加算)→野菜の高騰化、な、はずなので…
リアルの東京の農作物の食料自給率って0.5~1%の全国最下位よね?
それでファンタジーといえどあの雨で…野菜とか食べ物が普通に流通してるのも(金に困ってるはずの主人公らが普通に飯を"買って"食えてるのも)「?」って感じだった。
Yumyum

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