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21ブリッジのnetfilmsのレビュー・感想・評価

21ブリッジ(2019年製作の映画)
4.2
 まだ年端も行かぬ子供の頬を伝う一筋の涙。刑事だった彼の父親は天国へと旅立ち、息子はあらかじめ刑事となることを宿命づけられる。だが19年後、刑事になった彼を見つめる周囲の目は冷たい。主人公は英雄なのか?悪魔なのか?という主題は21世紀のクリント・イーストウッドが繰り返し追及するテーマの一つだが、今作もそれと無縁ではない。犯人を時に暴力で追い詰める捜査で知られるアンドレ・デイビス刑事(チャドウィック・ボーズマン)は、過去に警察官を殺した犯人を射殺したことで、同僚たちからも距離を置かれている。内務調査では、正当防衛なのかそれとも行き過ぎた発砲なのか追及されるが、アンドレは「正義の代価だ」と主張してやまない。そんな彼が警察官殺害事件の捜査で陣頭指揮を執ることになる。ニューヨークの深夜、既に営業を終えたレストランの中で複数の警察官が何者かに狙撃され殺された。犯人はまだこの近くに潜伏しているはずで、アンドレはマンハッタン全域の21もの橋を封鎖する。事実、日本版のポスターでは「マンハッタン島、完全封鎖。」の文字が躍るのだが、率直に言ってこれは物語の本筋とはあまり関係ない。というかその後の唖然とするような展開を考えれば、完全封鎖に力点を置くのもある程度致し方ないと納得する。

 今作は幾つもの骨太な刑事アクションの正当な後継者と云えよう。深夜に轟く数十発もの銃声、パトカーのドアを盾としながらの銃撃戦など、今作を観て真っ先にマイケル・マンの『ヒート』を想起せずにはいられない。また朝が来るまでの一晩のアクションと云うことで言えば、同じくマイケル・マンの『コラテラル』を思い浮かべた。その『コラテラル』の名手ポール・キャメロンのカメラで撮られた今作は、夜の静けさに浮かび上がるようなニューヨークの乾いた空気と、「正義」と「自由」の間で大きく揺らぐかのようなサイレンの光に彩られる。ニューヨークの街で繰り広げられるカー・チェイスや地下鉄での追走劇はウィリアム・フリードキンの『フレンチ・コネクション』の影響も強く感じさせる。また犯人が退役軍人であるところや、主人公が四面楚歌の状況下で歩を進める姿はドン・シーゲル×クリント・イーストウッドの『ダーティ・ハリー』を思い浮かべずにはいられない。そういう幾つもの名作のエッセンスを散りばめながらも、「LMSI」(ロウアー・マンハッタン・セキュリティ・イニシアティブ)やUSBや携帯といった現代のテクノロジーも駆使する抜け目なさも光る。
 
 マイケル・マンの正当後継者と云える今作の中でただ一つ違うポイントは、「発砲の是非」ではないか。闇雲に銃弾が飛び交う銃撃戦がある一方で、主演となるアンドレ・デイビス刑事も彼の相棒となる麻薬取締班のフランキー・バーンズ刑事(シエナ・ミラー)もNYPD85分署のマッケナ署長(J・K・シモンズ)も、犯人側のマイケル(ステファン・ジェームス)でさえも、1発の発砲の「意味」に簡単には引き金を引くことが出来ない。その躊躇した時間の中に、各人の背景やこの街の状況が滲むのだ。思えばこの夜、犯人側の意図に反して最初から狂った歯車は警察側・犯人側双方の思惑を交えながら、最後までボタンを掛け違えたままで進んで行く。

 大腸癌を隠して、主演でプロデューサーも務めたチャドウィック・ボーズマンは今作の撮影を最後まで続けた。心なしかコートの下の身体は瘦せ細っているように見えるし、声も出辛い場面が目に付くが、映画の中の彼はアンドレ・デイビスという刑事として、与えられた職務を全うする。彼が全力で走る姿に思わず涙が溢れた。43歳の若さで亡くなったチャドウィック・ボーズマンにあらためて謹んでお悔やみ申し上げます。
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