須らく表現者が伝えるものの核には、自己、がある訳ですけれども、それを客観してエンタメ化できる人間と、それを肥大化させてしまい持て余す人間と、その両者の差、が描かれていたと思うんですよね。
或いは服を着ていない自分の状態をよく知る人間と、着飾った姿でしか人前に出られない人間の差。
んで、映画自体の語り口は前者の精神によるものですからして、例えば、復縁を望む心情を深刻に切々と歌い上げるようなバラードを真面目な顔して聴き通せない性質のあたしにゃあ、それこそがいわゆるツボってやつで御座いまして。
端的に言えばおちんちんをぶらぶらさせながら夢語りをする姿の滑稽さ、これが随所に描写されてあって都度都度笑わされてしまいましたよね。
母ちゃんに金返したいからギャラ払ってよ、とか可愛くってしょうがないですよね。
映画としては。
口ほどにものを云う目、そして視線の演出がとても印象的な点と、これみよがしではないゴア描写、執拗且つ腰の引けてない暴力描写が堪えつつも見応え十分でしたよね。
でも猫は駄目。
生き物全般、中でも特に猫は駄目。