美男美女な登場人物たちに、“神妙な面持ち”をさせ、それとなく整えられた画面と、シリアスな空気感を醸せばタルコフスキーになると思ったら大間違いであろう。
クリストファー・ノーラン、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、ロバート・エガース辺りは、現代のタルコフスキー病、タルコフスキー呪縛に苛まれている三銃士感がある(※とりわけノーランはこの三者の中ではケレンもかなり持ち合わせているが)。
本作からはタルコフスキー映画にあるような詩(ポエジー)をまるで感じないし、画面奥深くに吸い込まれていくような感覚はない。始終小綺麗な雰囲気MVを観ているような感覚で、端的に言って面白くは…ない🙇(※時折、ティモシー・シャラメの顔がアップで映る場面なんかは、“Sign of the Times”のMVのハリー・スタイルズを彷彿とさせるものがある🔎)。
ゼンデイヤちゃんに、旅の始まりはこれからよ!なんて言われてしまったので、重い腰を上げてPart2を観に行かねば…
P.S.
“それとなく整えられた良作”を見せられるくらいならば、私はデヴィッド・リンチ版のような破綻、奇っ怪さをこそ愛でたい。