Foufou

ペイン・アンド・グローリーのFoufouのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

白秋のアントニオ・バンデラスに仮託して語られた、玄冬にかかるペドロ・アルモドバルによる青春の追憶。もしくはアルモドバル版『仮面の告白』。

この監督の作品の冒頭はいつだって息を呑む。今作では女たちが川で洗濯をしている。向かって左端に男の子をおぶったペネロペ・クルス。隣の女が言う。「男だったら裸になってこの川で泳ぐのに」「何言ってるんだか」「でも川の水がアソコに入って気持ちがいいわ」石鹸のかけらが水の中に落ちて、その周りに小魚たちが群れている。「石鹸を食べてるわ。かわいいわね」と若き母のペネロペ。「ここで遊んでらっしゃい」女たちはやおら立ち上がり、フラメンコを唱和しながら川岸に生う茅の上に洗い立ての真白いシーツを広げていく。川面に光が爆ぜて、子どもは眩しげに女たちを見上げる。

布を広げる。そして包む。アルモドバルが変奏し続けるテーマの一つ。黒い布を広げた時には、それは老いた母の髪を覆って、衣ずれの音を立てる。母は言う。「死んだ時にはこれを被せて。それから靴は脱がせて。向こうでは身軽でいたいから」

俳優の纏う服、家の壁を覆うタイルに絵画、モダンな家具調度…すべてが相も変わらずで美しく、それだけで一定の評価を得てしまえるのがアルモドバルの映画だ。

創作意欲をなくした映画作家に過去が訪う。ペインとは、背中の痛み、嚥下の苦しみ、偏頭痛…といった肉体的な宿痾であるほかに、32年前の出世作をめぐる俳優との確執、秘匿されたある男との同棲生活、そして「洞窟」での昼下がりの啓示…といった心の襞にしまわれた精神の痛苦である。作家は人生の白秋にあたって、振り返りを余儀なくされている。

シネマテークでの32年前の作品のリバイバル上映をきっかけに、沈滞した作家の生活に否応なく変化が兆す。果たして過去と和解できるだろうか。エピソードの数々は美しい映像で語られるが、過去の襲来のありようはいかにも唐突で、現在との整合性を欠くとの批判は免れそうにない。しかしメタ構成に常に意識的なアルモドバルによる極私的な内実の吐露としてこの映画を引き受ける者にとって、もはや整合性など問題にならないはずである。

原始キリスト教徒が隠れ住んだ「洞窟」での生活に甘んじた幼少期。階段に腰掛けて少年が本を読んでいると、「あんなに小さいのに読み書きができるのね」と若いカップルが感心して、報酬と引き換えに伯母への手紙を代筆してくれと頼む。そこへ少年の母(ペネロペ)がやってきて、「ハンサムなのに、読み書き出来なくてかわいそうに」「僕は職人だからそんな時間はなかった」「この子が読み書きを教えてあげる。無償で。その代わり、職人なら家の修繕を手伝って欲しい」。かくして日曜ごとに青年は少年からアルファベットを学び、聖人伝の一節を暗唱しながら辿々しく綴り、そして洞窟のカビだらけだった壁面は漆喰を塗られて雪のように輝き、美しいタイルが貼られていく。

この青年が、少年にとっての性の目覚めのきっかけとなるわけだが、肉体的にまずは優れていて、しかし純心であることと知的に劣ることとが等価な存在に対し、立ちくらむような欲情を発するというのは、少年の核にある「支配者特性」を予期させるに十分であり、同性愛とはこのようにしか発動しないものかと面食らわざるを得ない。要は図式的でありすぎることへの戸惑いである。

父親が中途からなんの前触れもなく姿を消す。「私」を支配する者は周到に物語から遠ざけられていく。一見母は「私」を支配する存在に見えて、その実、恋慕の対象だから、「私」に恵みをもたらす太陽である。だからこそ、アルモドバルは母の物語を反復する。しかし大して美しくもなく、さして子どもに影響を与えることもない凡庸な母親なんぞごまんといるわけで…。

ちょっととっ散らかってきましたが、要するに正当に私はアルモドバルを評価できるのか、怪しくなったというわけです。

くだんの青年は画家を志すのでもあった。とある昼下がり、洞窟の吹き抜けの食堂で椅子に腰掛け本を読む少年の姿に感じて、青年がやおら筆をとる。おそらくは漆喰のコテが置かれた段ボールの切れ端だろう、その漆喰が固まった部分にデッサンが施される。そして32年後。着彩されたその絵を映画作家はマドリードの画廊で見つける。裏にはかつて文盲だった青年による手紙が記されていて…。

並の監督ならこの絵を軸に一本撮るところだろうが、アルモドバルにとっては数あるエピソードの一つに過ぎない。観る者としては、贅沢な体験ともいえるし、あまりの勿体なさに戸惑うかもしれない。

アントニオ・バンデラス。いい枯れ方をされている。歳の取り方の見本になりますね。支配者たる映画作家は、かくして再びパソコンに向かって物語を打ち込み始める。

アルモドバル、齢69歳。すでに新作に取りかかっているようです。
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