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フェアウェルのsensatismのレビュー・感想・評価

フェアウェル(2019年製作の映画)
3.1
2020/126
笑いも泣きもしないよ、あるのは不可抗力。しょうがないそうするしかないそこに正しさを持ち込むことが正しくないの。
村上春樹ふうにいうと、完璧な家族などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。
グロテスクで尊くて結局もどってくる。それが家族なんでしょう。

わたしはすきではない。
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個人主義と全体主義。前者を正義として描くことが得てして多い。あるいは一歩進んで前者の限界を示すか。
今作は後者をテーマのひとつとしていた。同時に相対的にも描かれていた。個人主義であれ全体主義であれ限界があるのは同じことだ。限界はあるが価値もある。問題は(ナイナイも言っていたが)そういう体制下のなかでなにを選びどう生きるかだ。個人主義が主流の世の中で全体主義について評価・結論を与えずありのままを描くことは難しそうだが、物語の還元が結局個と内面にあったからうまくまとまっていたのだと思う。
基本的にインディースなどが描くような家族モノには虫唾が走る。なぜなら家族のリアルを照らし出そうとするくせに、「でも家族ってこういうモノだし、愚かだけど愛すべき存在だよね」という解釈の余白を残してくるからだ。そのお気楽さに腹が立つ。裏切られたような気分になるのだ。結局家族の価値観を押しつけられる。そういうふうに見ることができない自分が否定されたような。その点上映館数を多数占めるような映画内で描かれる家族には安心する。絶対的なファンタジーだと分かっているから。
この映画の家族はそのどちらでもなかった。多分。ただただこういうものなんだっていうのを提示されただけのような気がする。家族から派生してくるあらゆる感情が拾われてただそれが在る。なにかが生まれるわけでも発見をするわけでもない。そういう印象だった。

随所で登場してきたスズメについて、ルル・ワン監督が言及していたこと。

私は「鳥」に何かを象徴させる傾向があるかもしれません。もしあなたが何かの「前兆」を信じる人なら、アメリカで見たスズメを再び中国で見ることで、「意味」を考えるでしょう。でも前兆など迷信だと思っている人なら、目の前の世界をそのまま受け止めるはず。「あぁ鳥がいるね」とスズメに意味を見出しません。私は「前兆」を信じる人のためにスズメを使いました。アジア的感性かもしれませんね。受け止められ方の違いを試したかったのです。
(https://cinemore.jp/jp/news-feature/1664/article_p2.html)

わたしは前兆を信じられる人間だったのか、良い気付きだ。
意味を決めつけてしまうのはナンセンスだが考えずにはいられない代替案、それが「前兆」なのか?
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