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デッド・ドント・ダイのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

デッド・ドント・ダイ(2019年製作の映画)
4.0
[ゾンビ映画の原点回帰、或いはジャームッシュのエンドゲーム] 80点

ジム・ジャームッシュがゾンビ映画を撮った。その言葉から1mmも逸脱することなく、ゆるふわの権化のようなテンションで駆け抜ける幸福な80分。企画自体のアイデアは『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』のときにティルダ・スウィントンから持ち込まれたらしい。そして完成した映画は、カンヌ国際映画祭のコンペティションに選出された上にオープニング上映となるも、本人はそこまで戦う意志はなかったんじゃないか。出演者それぞれがキャリアの箸休めのような感じでのびのびと、そして嬉々としてパロディに興じている感じが画面を越えて伝わってくるとでも言えば良いのか。アダム・ドライバー演じる警察官は『パターソン』を想起させるピーターソンという名前だし、ティルダ・スウィントンのゼルダ・ウィンストン、ロージー・ペレスのポージー・フアレスという狙いすぎた名前に吹き出す。トム・ウェイツ、イギー・ポップ、RZA、スティーヴ・ブシェミなど馴染みの俳優を大量につぎ込んだアンサンブル映画でもある。ジャームッシュは私的なエンドゲームを撮っちゃったのだ。

物語は地軸異常によって異常気象が起きて云々という話だが、正直ゾンビが出てくる経緯なんかはどうでもよく、だからこそ初の犠牲者が出てからゾンビが犯人だなと言う結論を下すのも超速だし、その状況への順応も超速。ある種お約束は辿らずに省略した上で、"脚本呼んだから結末知ってる"などと言わせるメタ的な視点も持っている。そして、ゾンビ大好き青年よりも早く世界に順応した、というか順応しすぎたアダム・ドライバーは"頭だよ頭~"と言いながら無表情でゾンビの首をガンガン狩っていき、クロエ・セヴィニーはドン引きする。そんな彼であるが、乗っている超ちっちゃい二人乗りの車はスター・ウォーズの乗り物のような音がして、鍵にはスーパー・スター・デストロイヤーのキーホルダーが付いているのだ。

他にも、本筋と全然絡んでこないセレーナ・ゴメス(登場時に後光が差す)はロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』で主人公たちが乗っていたポンティアック・ルマンに乗っていたり、ちらっと大写しになる墓の名前がサミュエル・フラーだったり、"いい人だった(Good)"とグッド兄弟を重ねてみたり、アダム・ドライバーに"This is all gonna end badly"と言わせてみたりして大いに遊んでいる。アダム・ドライバーが車から乗り出して通行ゾンビの首をふっとばすとこ(そしてそのゾンビは同作のビル・マーレイみたいな格好をしている)なんかは『ゾンビランド』へのオマージュだろう。

しかし、終盤に向けてゆるふわな時間に暗雲が垂れ込めはじめ、Wi-FiやBluetoothを求める現代的な存在として描かれていたゾンビは、実は物質を求め続ける人間の裏返しだったことが提示される。更には、スティーヴ・ブシェミの帽子に"Make Amrica White Again"と書いてあったり、全く人間的でないティルダ・スウィントンをそのまま回収したりすることで、社会風刺を含んでいたことを浮き彫りにする。ジャンル映画はいつの時代であれ常にかくあるべきだった。黒人を主人公にベトナム戦争や人種暴動という世相を反映した『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』、ショッピングモールを舞台に消費社会を皮肉った『ゾンビ』など、ロメロのゾンビ映画に対する姿勢もそうだったように。ジャームッシュはゾンビ映画を使って原点回帰することで、世界にジャンル映画のあるべき姿を提示したのだ。

どうでもいいけど、イギー・ポップ・ゾンビは1973年のブルー・オイスター・カルトのコンサート帰りに恋人とバイク事故で死んだという設定らしい。当時彼はブルー・オイスター・カルトと一緒に演奏していたそうな。
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