シュウ

家族を想うときのシュウのレビュー・感想・評価

家族を想うとき(2019年製作の映画)
4.8
最近、「わたしはダニエルブレイク」でケン・ローチ監督デビューをして本作鑑賞。

どちらも近代を支えている合理的なシステムの犠牲になってしまっている市井の人々の物語

本作は4人家族が中心となっていることもあり、子供の目線とか、親の葛藤とか、かなりウッときてしまうシーンが多かった。

仕組みの中で管理するもの、管理されるものという構造において、管理者であるマロニーは、淡々と、確実にドライバー達を真綿でしめるように追い込んでいく。しかし彼は仕組みを正しく、非常に優秀に運用しているだけなのだ。彼も仕組みに管理されている人間である。

ドライバー達の張り詰めたギリギリの状況。その中でもなんとか踏みとどまるが、一度リスクが起きると全てが壊れてしまう瀬戸際で、毎日気持ちが張り詰めている。
彼らの状況は近代社会が利便性、効率性を求めすぎた果てに持続可能性が限界にきている、今の社会のあり方の縮図のように感じた。

そして、父がそんなドライバーをつとめるこの家族も、本当にギリギリのところでなんとか踏みとどまっている。それぞれの「家族を思う気持ち」が、なんとか家族を結束させている。
しかしその思いが食い違い、それぞれの思いが逆に相手を苦しい方向に追い込んでしまう展開は見ていて苦しくなる。

妻の電話のシーン。今までどれだけ理不尽や怒りがこみ上げてきてもそれを抑え続け、人間としての尊厳を守ってきた彼女が罵声を吐いてしまうシーンは、本当に心が痛くなる。「私の家族をバカにしないで!」は感情が込み上げてきた。
しかも、前作のダニエルブレイクが魂の叫びを上げた時には、それを拾い上げて共感してくれる人々がいた。彼の存在を少なからず、社会の痕跡として残す出来事となった。
しかし本作においての彼女の叫びは、誰にも拾われることなく、虚しく響いて消えていくだけなのだ。周囲の冷ややかな視線とともに。何も社会に痕跡を残すことなく。

人々の不寛容さ、それを作り出している個々の状況の深刻さ、他者に対する余裕のなさが増している時代の深刻さを感じた。

終わり方が秀逸。
この問題は何も解決していない。出口が全く見えていない。現在進行形の問題であることを強烈に突きつけられた。
監督の強烈な怒りを感じた。

システムが人間の尊厳を奪い、生活を奪い、命すら奪ってしまう社会。
この結果をうみだしている原因は、今の社会システムの背景にあるのが利権、エゴイズム、独占欲、我よし、自分だけが得をしようとする発想で作られているからだ。

「愛を持って世界を管理する」
実社会で起きている様々な現象を見て、時代がこれだけ壊れているからこそ、一方で人類がこの発想に向かうチャレンジが動き出しているようにも感じる。

自分も微力ながらも、その一端を担っていきたいという思いが深まった。

「sorry we missed you」
原題のこのタイトルを思い出すだけで、当分は色々な思いがこみ上げてきてしまいそうだ。
シュウ

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