垂直落下式サミング

家族を想うときの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

家族を想うとき(2019年製作の映画)
4.3
配達のお仕事をしてた。僕が就活失敗した年、不貞腐れニート期に突入してしばらくすると、母からじじいが身体を壊して入院するとの一報が届く。そんなわけで、半年ちょっとくらい母の在所の委託配達を僕が代行でやっていた。あっちこっち走り回るのはペーパードライバーには堪えたし、体育会系業界だから委託元から若造がって舐められるし、ほんと嫌で嫌で仕方なかったけど、適当なバイトしかしたことなくて、技能研修もインターンも途中で投げ出したろくでなしのドサンピンが、外圧とはいえまがりなりにもいっぱしに労働して、その対価に金銭を得る経験をできたのは、いい処方箋だったと思う。
くだらない仕事だったが、いろんなお宅の玄関なんかをみてまわるのは案外楽しかったし、どんな家で、どんな人が出て来て、どんなことやってて、どんな対応するのか、作業がこなれてくると見えてくるものがある。
立派な家には、よく玄関上がったところに太い木を輪切りにしてニスを塗ったやつが置いてある。あれの名前とかわかんないが、たぶん縁起のいいやつなんだろう。
帝国大学卒の古医者じいさん宅は庭にアヒルの石像があって、お孫さんが砂利を食わせて遊んでた。口からこぼれてもまだまだ口へ運ぶ。お腹いっぱいだよドクター。
軒先でめちゃくちゃな数の注連飾りを作ってるおばあちゃん。お祭りの準備って各自治体で個々の家が分担してやってんだすごいな、知らなかった。
団地に住んでるおねーさんにファッション通販誌を届けるときは足取りが軽い。でも、ある日、厳ついガテン系の彼氏さんがいらして、帰りは五階の部屋までの長い階段を登るときの倍くらいかけてとぼとぼ降りたりした。
他人の生活ってのは、見えるようで見えないけど、その家に届く荷物を持って玄関先に立って呼び鈴を押し家主がドアをあけると、彼等を理解する入り口に立って受け入れられたような、もう一歩踏み込んだらその人の内側まで手掴みにできるような、そんな気がした。
こんな気色悪いこと考えながら回れるくらいには僕には恵まれた環境があったわけだが、世の中そうはいかない人のほうが多い。そんな庶民の生活の有り様と変容する社会の関係をナチュラルな角度で撮ることにかけては一家言あるケン・ローチ。引退撤回し復帰後二作目である。
もう、アーティストの引退宣言は話し半分に聞いておいた方がいい。今年、『さよならくちびる』をみてそんな思いに至った。復活したら喜ぶ、やめるって言い出したら悲しむ、そんでファンで居続ける。それでいいかと。
福祉の在り方へ疑問を問いかけた復帰一作目『私は、ダニエル・ブレイク』は、ある意味で反骨のヒーローを描いたものだったが、本作は最も遠ざけたいけど無しには物質文明を生きられない「労働」をテーマとして、ひとつの家族にフォーカスし、より現実的なヒューマンドラマとして描いている。
豊かな生活をおくるためにお金を稼ぐ、経済活動であるはずの仕事、あれれ、気が付いたら仕事に生活を人質に取られてないか?俺らってこんなに惨めだったっけか。今もなお階級社会が色濃く残るイギリス。格差肯定、差別容認のお国柄、そんな国民的な性根と新自由主義とが奏でるハーモニー。どっかの島国も似たようなもん。これって社会っていうか、政治っていうか、もっと根本なところがおかしいんじゃないの?おしえて池上彰。
前回の主人公ダニエル・ブレイクが抗うことができたのは、失うものがなかったから。病が命を蝕んで、金もない、家族もない、だから社会体制に中指をたてることができた。でも、仕事がクソだろうが社会がクソだろうが、今現在、食わせなきゃいけない家族がいる人に、俺はこの世が気にくわないぜとアナキズムをうたいあげることはゆるされない。あまりに無責任だ。彼等はどうにかして、そのクソを受け入れて順応してやっていくしかない。今日もどこかの誰かが報われない仕事して割りを食って死んでいく。くだらない。
こんなことやってんのにEU離脱するんですかテリーマン。バカばっかりだ。どこもかわんないのね。世界中おバカさんだらけで超安心すわ。