推し俳優ベン・ウィショーが助演だったのできっかけで鑑賞したのですが、現代の新しい“怪談”が生まれた瞬間を見た気分でした。
映画にはホラーやサスペンス、ミステリーといったジャンルがありますが、『リトル・ジョー』はそのどれでもなく、言うなれば“怪談”。それも限りなく日本の怪談文化に近い作品。
某オカルト研究家によると
「“怪談”とは、隠されていて、想像力を掻き立てられるもの。命の危険にさらされる“ホラー”の恐怖とは違い、異世界のものに一瞬だけ触れるような恐怖」
だそうです。
『リトル・ジョー』は、リアリティラインが意図的に曖昧にされている点やカラフルな照明・衣装の使い方、花の開花と花粉の散布の際にだけ流れる雅楽と犬の鳴き声の演出が見事で、見ている私たちに「本当に花粉に感染してるの?主人公アリスのストレスが見せた妄想なの?」と考えさせ、じわじわ恐怖を掻き立てます。
「幸せになるだけ」という、一見、致命的ではない副作用は、作中でも言われるジョークのように「ゾンビになったりしない」ものの、精神的にはリトル・ジョーに魅せられて、依存している状態。
麻薬中毒者を彷彿とさせますが、作品の言葉をもじるなら「哲学的ゾンビ」状態と言えます。
リトル・ジョーの世界出荷が決まってしまったこの世界は、今後、意識を持たない哲学的ゾンビが蔓延る世界になり、人間は花の家畜となったことに気がつかず、幸福な世界を生きていくのでしょう。
そう思うと肝が冷えますね。
蛇足ですが、突然のゾンビ発言や遺伝子操作、花粉感染のよる自我の放棄、主人公の名前が「アリス」などの要素は『バイオ・ハザード』からかな?と思いました。笑
『バイオハザード』が現実に起きるなら、という仮定と、より怪談に寄せた作品だと思います。
面白かったです!