映画漬廃人伊波興一

小さな兵隊の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

小さな兵隊(1960年製作の映画)
4.3
追悼アンナ・カリーナ、あるいは(バッハを聴くには早すぎ、ベートーベンを聴くには遅すぎる。ハイドンがちょうどいい)と、うそぶく30歳ゴダールが、20歳アンナ・カリーナの中に見た光。

ジャン=リュック・ゴダール 『小さな兵隊』

例えばスタッフたちに何十時間、何日間もかけてセットを用意させていようが、配給業者や国際映画祭委員たちに完成を何ヶ月も待たせていようが、ロケ日の朝、空を見上げるや否や(どうも今日の光線は良くない)と、
即座に撮影を中止する。

あるいは相手と、どれだけ濃密な邂逅を重ねていようが、朝の機嫌ひとつでそれまでの関係を一瞬で無に帰してしまうといった逸話が事欠かない風情のゴダール、当時30歳。


数十年ぶりに再見して感じた事は、アルジェリア戦争の内実云々などではない。
(事を起こすかどうか。全てがその時次第)という彼にとって、当時20歳の新進女優だったアンナ・カリーナが、さながら宇宙の起源のように突如としてレマン湖のはるか沖合いに現れた、ひと塊の、等身大の光だったに違いない、という確信でした。

ミッシェル・シュボールにカシャカシャ写真を撮られていくアンナには、そう思わせるくらい、盲信的な、当時のフランス・ヌーヴェル・ヴァーグという白昼の大気さえをも凌ぐ眩しさで輝いています。


ここまで眩しく撮れば、恐らくはゴダール自身だってアンナの真の姿が見えている訳がない。それは他ならぬアンナ自身だって。


映画の中でアンナの正体を私たちに知らしめてくれるのは、極右の秘密軍事組織ですが、観ている私たちは、その事自体さほど不思議に思って眺めているわけではありません。

映画の中のミッシェルと同様に、鏡のなかに映る自分の(顔)が、自分の内面に思い描いている自分の(貌)と一致しないことに気づけば自問するのに忙し過ぎ、答えを探す暇などなく、これから起こる薄幸の出来事など予測出来る筈もないからです。


ゴダール同様にアンナに5分で恋に落ちたミッシェルのセリフ。


(君と寝たい。だが今の顔はその顔ではない。その気がないなら腕を預けるな)

ここまでアンナに従属していたミッシェルが、アンナを守るために任務を遂行する時、初めて一時的であるが主我を確立します。
その後でアンナの死を知るという、若過ぎるが故の恨み。


私自身も実は、昨年(2019 12 14)の79歳アンナの逝去を知ったのは今年に入ってからでした。