タイトル『At the First Breath of Wind』の詩性にも注目し、想像を広げてみよう。 まず、『At the First Breath of Wind(直訳:風の最初の息吹)』とは、季節の変わり目や一日の始まり、もしくは沈黙の中から何かが動き出す瞬間を象徴する言葉として読める。自然の営みが静かに動き始めるという、その原初的な瞬間を捉えたイメージの表れではないだろうか。 風の息吹を時間の始まりとして捉えたとき、物語や出来事が始まる前の状態、すなわち純粋な現在の詩的なメタファーとなり、これはピアヴォリのフィルモグラフィに通底して漂う脱物語的時間の流れと重なる。 しかしこのタイトルは、必ずしも観念的なニュアンスのみを内包しているわけではなく、そこには画面内での風の質感がスクリーンという枠を超えて、実際に観客の肌に触れるようなメタ的な知覚体験を体現している。ソファで昼寝をしているときにそっと背中をさする風、雨の降るじめっとした空気のなかを通り抜ける風、労働後に汗を拭ってくれるような優しい風といった、映像や環境音として現れる風の存在のすべてが、画面の向こう側と現実世界を接続し、あたかも観客はその現象(風の息吹)を己の身体で感じ取り、あるいはその瞬間において過去の体験を現在のものとして錯覚するだろう。 だからこそ、この『At the First Breath of Wind(風の最初の息吹)』は、詩的な感動を呼び起こすメランコリックなタイトルであるのと同時に、本作自体が映像世界と現実世界を接続しうる「風」であるということを巧みに表現した、作品の外に存在するひとつのメタ的メッセージなのである。