Kaji

王の願い ハングルの始まりのKajiのネタバレレビュー・内容・結末

3.4

このレビューはネタバレを含みます

全体的にかっちりした骨太なストーリーで、見応えがありました。

まず、訓民正音の開発に仏教徒の言語学者が本当に加わっていたのかという史実がわからないのでIf設定のストーリーかと思われれます。
中盤の言語が正定された時に、起こりうる脅威を出し合う僧侶と王様の会話は政治を超えたヴィジョンの出し合いで唸りました。
サンスクリット語で日本の僧侶を圧えるところもかっっこいい。「真理をもらおうとするな」。おお〜って。共通言語の有用性を一瞬で表すシーン。それをどちらの国の言葉でもない言語で見せたのはなるほどと思った。
聖痴愚のポジションにいる僧侶が王様を「裸の王様」にさせないために、ほぼ侮辱になるんじゃないかってことまで言うスンミ僧侶.
王様もあらゆる方面の顔を潰さないように、どんな意見にも耳を貸す。


ラスト、桃の例えが響いたように思う。
「桃の種の数を知らない者はいないが、その桃の種からいくつの桃が生まれるか知る者はいない」


 儒教社会の中での最高権力者と異教徒の言語学者、はたまた開発者と社長の立場と主張、哲学のちがいを描いていく中で、夫と妻や師匠と弟子、全く違う考え方の碩学同士、女性の機会といろんな観点が入っていた。
主軸は李氏朝鮮が高麗の教訓から儒教国として統一したけれども、漢字を使えるのは知識層だけで、共通の文字を作ることで何をしようとしたか、とその開発の経験が個々人に何をもたらしたのか。

ちょっと気にとまったところがあって。
それは浸透と流布のため、権力構造に便宜をとって開発者の功績を伏せて儒教のベースに書き直した、というところ。
そんな描き方したら、関係者全員が浮かばれないじゃないか・・・
これじゃあ、開発し整理した仏教徒もアレンジした儒教者も取り仕切った世宗大王もなんか、悪者みたいじゃんっていう。


これ、なんでかなーって思いながら。
 監督はこの映画で、ある偉業にまつわる偉人たちのレジェンド譚というとこに留めたくなくて、信仰や哲学や自分の存在の有無をも超えて世界を想像した人物たちの煩悶を描こうとしたのかな。と
人間らしい人物たちの努力と犠牲と執念が偉業を成し遂げたと。
何もカリスマやスーパーマンがパッパとやったわけじゃない。


劇中、世宗大王はまず半生をかけてした研究の本を捨てるとこから始まって、国を超えてどちらの国語でもない言葉でコミュニケーションを知る。
・シンミ僧侶は卓越した言語学の知識をもち招聘されるが、師匠に「お前の問題は我執だ」と警告されながら、仏教排斥をした権力者と対峙する。
・王妃は一族を旦那に虐殺されていて、仏教徒
・王子たちは、父王の命で階級の最下層民と同等に扱われ、
・大臣たちは異教徒を囲いともすれば傾国の危機を作りうる開発に執心し体調の良くない王様を憂いていて、、
この当時階級制度がガチガチにあった中で語るには、全員が身を引き裂かんばかりの経験を繋げている韓国語正定とは、、と、言語が支えている精神をそれぞれが担保して格闘する物語にも思える。


余談、韓国の読経ってどことなくパンソリのリズムで日本の読経とまるで違った。
途中で音の構成を紐解く鍵になった、琴の響きや各所に出た歌、ほんとに気品があって素敵でした。
Kaji

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