蛇らい

猿楽町で会いましょうの蛇らいのレビュー・感想・評価

猿楽町で会いましょう(2019年製作の映画)
3.8
衣装、美術で登場人物のキャラクター性とストーリーのフックを語る手際の良さに序盤から驚かされる。

主人公の女の子、ユカが着ている『Technics』のロゴT、もう1人の主人公、修司は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のTシャツを着ている。相手のTシャツに対し、「ロメロいいですよね」なんて話しかけてしまう、一見ただのカルチャー好きの若者たちであることの提示をしているだけに思える。

しかし、このシーンにこそ裏切りの宣言を孕ませている。『Technics』Tシャツを着ているのは紛れもなく男の影響であり、ロメロ周りの知識を自らのものの様に振りまく姿こそ、これから始まる逃げ場のない深淵へ向かうことの暗示だ。出会いのシーンで映画の全体像を表す巧妙な仕事は、初長編とは思えない。

ユカは息を吐く様に嘘をつく。翻弄される修司という構図に、ユカというキャラクターに疑念を抱くのがセオリーである。しかし、なぜユカが嘘をつき、他人を困らせるのかと思えば、寂しい、認められたい、楽をしたい、安心したい、などという人間が生きていく上での当たり前の感情に従っているだけなのだ。

それらをねじ伏せて生きている方が大人であり、普通であるという視点が果たして正しいのかという疑問を観客へ名指しされた気分になる。修司のように、何か隠されているなと感じながらも気まずくならないように取り繕う人間的な弱さが、良くない方へと向かいっている事実からも目を背けさせる。「嘘をつく」と「その場をしのぐ」という2つの行為は相対的に見れば、していることは一緒なのではないかという結論にまで達する。

劇中に度々、「あああーーーーっ!」という叫びのセリフが用いられる。最初はアクタースクールでシチュエーションに応じて言わされるシーン。その姿は滑稽で、正に嘘をついているかのような叫びに聞こえる。

対比として、修司と出会い、心の底から嬉しさが溢れたときの同じ叫び、関心のないバイトの同僚から自分の人間性をどうのこうの言われ、憤る同じ叫び。最初の叫びとは程遠い、肉薄する叫びが、嘘とリアルのギャップを可視化している。

ユカは、好きになることも、嫌いになることも許されない生き地獄にはまってしまう。自分が誰で、何者なのかというアイデンティティのありかに苦悩、自分の代わりはたくさんいるという事実に自尊心を痛めつけられる。さらに救いを求めた男にしか自分を映せなくなり、また自分を見失うという負の連鎖が当たり前にそこに突きつけられる。

ユカという名前に漢字が使われていないことの匿名性も感じる。自分が自分にとってのユカに名前をつけてあげられる人間にならなければ、好きになってくれた人を本物にできるのは自分だけなのかもしれないという使命感をこの映画からは貰った。
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