フルーティなずんだ餅

いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46のフルーティなずんだ餅のレビュー・感想・評価

5.0
僕達は、どうしてアイドルに惹かれるんだろう。

彼女達の顔が可愛いからか。彼女達のパフォーマンスが光り輝いているからか。
それ以上に思うのは、彼女達の存在が刹那的なものだからではないか。

前作「悲しみの忘れ方」が、未だアイドルになりきれていない、バラバラの個でしかなかった少女達が乃木坂46という1つのグループになっていく過程を描いていたとするならば、本作はそのグループから旅立ち、再び個になろうとしている者を軸に、改めて「自分とはなんだろう」とグループに残った者が考える様子を描いている。

始まりがあれば、終わりがある。
グループ加入時から「卒業」という終わりが半ば強制的に決められている女性アイドルという職業は、ある種残酷だとも思う。
その風潮に異議を唱える者もいる。
しかし、アイドルである瞬間は刹那的かもしれないが、例え彼女達がグループを離れたとしても、彼女達の人生は続いていく。
ならば、所詮アイドルというものが一種のモラトリアム的期間でしかないとしても、そこで彼女達が得たものは、僕達が送った声援は、彼女達のこれからの人生を形作る礎となるのではないだろうか。

乃木坂46は、今や日本を代表するアイドルグループとなった。
ただ、そのグループは今、大きく変わろうとしている。
その上で、周囲から貼られる「乃木坂らしさ」というレッテルにプレッシャーを感じることもあるだろう。
しかし、かつての1期生がそうだったように、ただがむしゃらに走り続けていれば、案外どうにかなるものである。
「乃木坂らしさ」というものは、所詮彼女達の周囲の大人が勝手に彼女達をパッケージングしただけに過ぎない。
そういったものに捉われず、今現在グループに在籍しているメンバーには伸び伸びと活動してほしいと、僕は心の底から思った。

いつのまにか、彼女達は僕達の心の中にいた。
そしてこれからも、ずっと。