ナガエ

これは君の闘争だのナガエのレビュー・感想・評価

これは君の闘争だ(2019年製作の映画)
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メチャクチャ良い映画だった。

これはホント、特に若い人ほど観に行った方がいいんじゃないかと思う。

別に、「この映画に出てくる若者のように闘え」なんて思ってるわけじゃない。でも、「何に疑問を抱くのか?」「抱いた疑問に対してどう行動するのか?」を改めて考えさせてくれる映画だし、日常の中でそういう問いに直面する機会がないわけだし、今の若者にもっとあってもいいのかもしれないと感じる視点だと思うからだ。


映画についてあれこれ書く前に、まず僕の「暴力」に対する考え方を書いておきたいと思う。この映画では、高校生たちが「デモ」と称して、様々な場所を占拠したり、市議会の扉を壊そうとしたり、道路を強制的に封鎖したりする。それらの行為を、僕がどう捉えているかという話だ。

僕は基本的に、「暴力に訴えなければならない非常事態も存在する」と考えている。そして僕の考えでは、それが許されるのは「弱い立場の者が強い立場の者に闘いを挑む場合」だけだ。

【抵抗は私たちの唯一の手段】

正確に覚えてないけど、こんなことを言う人物が出てきたと思う。確かに、この映画で「学生運動」に参加している者たちは、ほとんど何も持たないものだ。

ブラジルでは、公立校に通う者は貧困層と決まっているそうだ。親は最低賃金の月250ドルで働いているのに、地下鉄の運賃が95セントもする。ある学生は、常に「家賃か食費か」の選択に迫られていた、と語っていた。

学校給食はスカスカで、1食14セントしか掛けられていないが、軍警察が学生運動を鎮圧するために打ち込む催涙弾は、1発75ドルもする。1発で529食賄えるし、この映画に映し出された催涙弾だけでも、16399食分になるそうだ。

長く独裁政権が続いたブラジルでは、今も学校教育では「デモ」「革命」「無政府主義」などについて学ぶ機会はないらしい。それどころか、議論や質問の仕方さえ、学校では教わらないらしい。恐らくこれは、公立校の話なのだろう。私立校では、状況は違うはずだ。

そしてそんな公立校に通う若者が、「より良い教育」を求めて立ち上がった。その学生運動を描き出すのがこの映画だ。

彼らは、金も教育も、後ろ盾となる団体も何も持たない。身一つで、学生という身分だけで、市や州や国のやり方に反対する。

そしてそんな徒手空拳の彼らだからこそ、僕は「暴力」は許容される、と考えている。ガンジーのように「非暴力」を貫けるものは凄いと思うが、それは理想だ。「持たざる者」が立ち上がる意思と団結を見せた時、主張を通すための手段として「暴力」が採用されることは、仕方ないと僕は思う。

というのが、僕の大前提だ。つまり、高校生たちが行う「暴力」は、行為としては良くないが、彼らの現状と目的のためには仕方ない、と考えている。映画では、イギリス女性が参政権獲得のために行った「サフラジェット運動」に言及する者もいた。その際も、死を覚悟して線路に寝転んだり、窓ガラスを割ったりと、かなり暴力的な行為がなされたそうだ。

さて、暴力暴力と書きすぎたので、この映画は「高校生が酷い行為で主張を訴えるもの」と思えるかもしれないが、そうではない。確かに彼らは、学校を占拠したり、道路を封鎖したりと、決して褒められはしない行為を取る。しかしそれは、少なくともこの映画を見る限りにおいては、「やむを得ない状況」でしか行使されない。もちろん、そういう穏やかな場面だけをこの映画では切り取っているのだ、実際はもっと酷いこともしているのだ、という可能性もあるが、たぶんその可能性は限りなく低いだろう。あくまで、僕の印象に過ぎないが。

さて、とりあえず、映画の内容と構成についてざっと触れておこう。

まずこの映画、作りがなかなか面白い。あまり観たことのないタイプのドキュメンタリーかもしれない。

映画では、学生たちが関わったデモや占拠などの映像や、当時のニュース、政治家たちの発言などが様々に映し出されるが、それらに対してナレーションをつける人物が3人いる。この3人が、学生運動の中核にいたまさに当事者であり、その3人の当事者(学生運動をやっている時は高校生だが、ナレーションをつけている時点では高校生ではなかっただろう)がワイワイお喋りをするような形でナレーションが進んでいく。

イメージでは、「映画やドラマを観ながら、その出演者たちが当時の思い出や苦労したことなどを話している副音声」みたいな感じだ。それがナレーションとして流れていく。

あまりないタイプのナレーションだと思うが、全然違和感はない。それどころか、なかなか「お硬い」印象があるだろう「ドキュメンタリー映画」というものを、かなり見やすくする効果もあるように思う。

運動に参加してた当事者が、「あー、あん時は大変だった」「ちょっとこっちの話を先にしていい?」「あ、あの頃は髪型にフラフラしてた時期だ」みたいなことを言いながら、ブラジルの状況を知らない観客にも伝わるように状況説明も入れていくという構成で、一般的なドキュメンタリー映画よりもずっととっつきやすいと思う。

それでは、映画で主に扱われる事柄を、時系列に沿って触れていこう(映画の内容は、時系列順というわけではない)。

まず学生たちが抗議運動を始めたきっかけは、2013年の「バスの運賃の値上げ問題」だった。サンパウロ市内のバスの運賃が上がり続け、通学だけではなく通勤でも大きな問題だった。お金のある市民にはそこまで痛手ではない話かもしれないが、貧困層にとってはバス運賃は大問題だ。そこで学生たちを中心に、「バスの運賃を上げるな」と抗議が広まった。

しかしその後の2015年、学生たちにとってはより重大な問題が持ち上がった。それが、「公立校の再編問題」だ。サンパウロ市が打ち出したこの計画はなかなか大規模なもので、30万人以上の学生を転校させ、93の公立校を閉鎖する、というものだった。

これに公立校に通う学生たちは猛反発した。

【知事よ、学校は我らのもの!】

と叫ぶ抗議活動を積極的に展開していく。

なぜ93もの公立校の閉鎖などという計画が打ち出されたのか。学生たちは、「選挙が近いから金を捻出するためだろう」と考えていた。しかし表向きの理由は、「公立校に通う学生
が少なくなっている」からだ。確かにデータもそれを示している。1998年から2015年に掛けて、公立校に通う学生は20万人も減ったという。

しかし、それが事実でも学校の再編には問題がある、と学生は訴える。というのも、「公立校に通う学生が減っている」というのは、ある事実と表裏一体だからだ。

それは、囚人の数である。サンパウロ市の囚人は以前と比べて4倍になっている。そしてブラジルの囚人数は世界で3番目に多いらしい。逮捕されるのは黒人、貧困層、若者ばかりだ。

要するに「貧困層の若者が通う公立校の学生が減っているのは、彼らが逮捕されてしまっているから」であり、謂われなく逮捕されている者が多い、と言いたいわけだ。確かにそうだとすれば、「公立校の学生が減っているから再編する」という主張には納得し難いだろう。映画では、

【10年以内に、学校よりも刑務所の数の方が上回ってしまう】

と主張する者もいた。

学生たちは様々な運動を展開して抗議するが、どうも状況は好転しない。このまま座して93校の廃校を見守るしかないのか。そんな中で知ったのが、チリの学生による「ペンギン革命」だ。チリの学生は、より良い教育を求めるために、学校を占拠する学生運動を行っていた。

サンパウロの学生は、これだ、と思った。

早速、サンパウロ市でも学校の占拠が始まった。先陣を切ったジアデマ高校に続いて、名門として知られるフェルナォン高校が占拠を行い、世間は衝撃を受けた。その後次々と占拠が続き、200以上の学校で生徒による学校の占拠が行われるまでになった。

これらの行動はすべて、学校ごとに決められた。生徒の判断で、占拠しないと決めた学校もある。また、占拠を行った学校でも、意思決定は非常に民主的に行われた。普段学校では、掃除も料理も女の仕事とされているが、この占拠期間中は、すべてを全員で分担した。ある女性は、「必然的に、男性優位の社会に反旗を翻す形になったのは良かった」みたいなことを言っていた。

さてしかし、学校の生徒による占拠は、あまり報道されなかった。映画ではあまり詳しく触れられないが、恐らくこの問題に対しては、「どうせ貧困層の問題だし、自分たちには関係ない」と考えている人が多かったのだと思う。ある場面である男性が、「こっちは税金を払ってるんだ。学校なんて知るか」と、学生たちに声を荒らげている場面もあった。きっとあれは、市民の大方の反応なのではないかと思う。

そこで彼らは、自分たちの主張に関心を持ってもらうために、やむを得ず「道路の封鎖」という実力行使に打って出る。学校から椅子を持ち出し、車通りが少なくなった瞬間を狙って道路に飛び出し、そのまま椅子に座って通行を妨害するのだ。

この行為に対し、軍警察が出動、学生を排除するために市街地で催涙弾を使用するなど、大騒動へと発展していく。それでようやく事態が報道されるようになり、結果的に当時の大統領の支持率が急落、サンパウロ市は学校再編を先延ばしにする、と発表した。

【ここで終わればハッピーエンドだったんだけどな】

と語っていたように、別の問題が発覚したことで争いはその後も継続することになった。そして、「すべての社会運動を潰す」と公言して大統領に就任したボルソナロ大統領の登場で、状況はさらに悪化してしまうことになる。

この映画は、ボルソナロ大統領就任直前に完成し、就任後2ヶ月で国内での上映が始まったという。監督は、映画に登場する学生たちの身の安全が保証されないのではないかと上映中止も検討したが、映画に出てくる様々な学生たちと一人ひとり話すと、「今公開しなくてどうするんだ」というような反応ばかりで、それで公開を決断したのだと、映画上映後に流れた、日本の観客向けのメッセージの中で話をしていた。

映画を観ながら色んなことを考えさせられたが、やはり一番は、「日本では、こういう学生運動は起こらないだろう」ということだ。

それは、良いことでもあるし悪いことでもある。

良い面としては、「日本の学生の環境が、ブラジルほどは悪くないはず」ということだ。日本にも私立校はもちろんたくさんあるが、別にお金があっても子どもを公立校に通わせる、という人は全然いるんじゃないかと思う。日本だってもちろん問題は様々にあるだろうが、ブラジルのような「公立校に通うのは貧困層だけ」みたいな状況にはなっていないだろうし、だからこそブラジルのような反対運動が起こらないのだろう、と捉えることもできる。

一方で、じゃあ日本で、この映画で描かれているような「酷い状況」に直面した時に、彼らと同じように学生たちが立ち上がるのだろうか、と思うと、どうかなぁ、と感じてしまう。それは決して「今の学生」に対してそう感じるだけではなく、もし自分が学生だった時に同じようなことが起こっても、立ち上がれないだろうなぁ、という感じがした。

その理由はもちろん色々あると思うが、映画を観てて強く感じたことは、「音楽」の効果はとても大きいだろうなぁ、ということだ。

ブラジルの学生たちは、抗議運動中も占拠中も、なんだかずっと歌っている。「理念」や「思想」だけではなかなか連帯するのは難しいかもしれないが、そこに「一緒に歌うという行為」が混じると、なんだかすぐに連帯できるような気がする。そして、サンバのリズムが流れているブラジルでは、「一緒に歌うという行為」は当たり前のことで、違和感がないのだろう。そして、「一緒に歌うという行為」に抵抗がないからこそ、その延長として抗議活動にもすんなり接続できるのかもしれない、と思う。

日本の場合、「人前でみんなで一緒に歌う」というのはなんとなく恥ずかしいことのように思えてしまうし、だからその先の抗議活動への接続も難しいのかもしれない、と思った。

この映画を観ると、「抗議活動」「学生運動」というもののイメージが変わるかもしれない。確かに、暴力的だったり法律に触れるような行為をしているかもしれないが、それはあくまでも目的を達するための手段であり、しかも興味深いのは、決して目的達成のためだけに一直線というのでもない。占拠した学校内でファッションショーみたいなことをしていたり、デモ中にキスをしていたりする。大声で歌って騒いで、なんだか楽しそうな感じだ。

そう、この「楽しそう」という雰囲気が凄く大事なんじゃないかと僕は感じた。

渋谷なんかを歩いていると、たまにデモ行進っぽいのを見かけるけど、日本のそれはなんか楽しそうに見えないことが多い。たぶん日本人は真面目だから、デモをやる側も、それを傍から見る側も、「ちゃんとやらないとダメ」という雰囲気になってしまうのだろう。

もっと「楽しそうなデモ」が日本にちゃんと根付くといいなとも思った。
ナガエ

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