中原中也は野卑時代と読んだ時代は明治維新と共に始まって今もなおそれは変わらず。
天井に 朱きいろいで
戸の隙を 洩れ入れる光、
ひなびたる軍楽の憶ひ
手にてなず
なにごともなし
映画やドラマでしかいつのまにか戦争を教えてもらえない時代がはじまった。
映画の力と美しさは何事にも変え難い
昔ながらのフイルム上映
映画の中に閉じ込められたら、いつまでも生きられるのに・・・
入っていきます今日も映画の中へ
私が私であるために
表現とは断念と覚悟
戦争は敵よりも味方に殺されるそんな戦争を今の若い人に知らせたい。
戦争があって映画はどう変わっていったのだろうか?
目を瞑ってゆっくり寝る。
観客が高みの見物じゃ、世の中変わりャーセンぜ。
映画で歴史は変えられんけど、歴史の未来は変えられる。
ハッピーエンドにするのは観客だから。
戦争なんかに殺されないで愛する人の心の中で私は生きていく
ピカッと光ってそれからドン
私には、私の知らない戦争の記憶がある。
それが時々怖くなる時がある。
"然るに、今病的である者こそは、
現実を知っているように私には思える。
健全とははや出来たての銅鑼、なんとも淋しい秋の夜です。"
この中原中也「秋の夜に」にゾッとする人は少なくないだろう。
どんな人にもなすべきことは必ずやあるのだと、思いながら自分には何があるのだろうとしとしとと感じ取り、病的である者になった方が楽なのだと思い知る。
映画の中の世界とリアルの境界線が実に曖昧で、それがじわじわと心地よくなる。
大林宣彦監督の最後のわたしたちへのメッセージは難解で重く、でも優しく力強く響く作品だった。
反戦のメッセージはこれでもまだまだ足りないであろうけど、時間が足りぬのならば私たちが映画の中に入って探り探り、探り続けて次世代への答えを見つけるしか手立てはないのだろう。