棒人間

シン・ウルトラマンの棒人間のレビュー・感想・評価

シン・ウルトラマン(2022年製作の映画)
3.4
元々エヴァンゲリオン が好きな庵野秀明ファンで、シンゴジラから始まったSJHUの2作目にあたるシンウルトラマンへの期待と求めるものは、庵野秀明がエヴァンゲリオン で作り上げた世界観を織り交ぜた新しい「ウルトラマン」だった。

シンゴジラの場合は見事にそれを体現していた印象で、「我々が住む世界にゴジラが現れたら」「それにどう立ち向かっていくか」というテーマと、対処に見られるエヴァンゲリオン の要素や音楽、何よりゴジラを使徒のように見立てた構図は、ゴジラのファンやエヴァンゲリオン のファンではなくてもこの作品に引き込まれたと思う。


では、
今作のシンウルトラマンはどうだったのか?
自分の感想はシンゴジラで感じたような感想はあまり得られず、「ウルトラマンが大好きな人たちが今の技術で作りました」という印象が強かった。
加えて、
庵野秀明の世界観やウルトラマンの存在がシンゴジラの時のようなもの(ウルトラマンの場合はゴジラとは逆の立場だが)に置き換わるものになりきっていなかった印象。

パンフレット等で言及されているようだが、シンウルトラマンは三部作構成の可能性があるようで、それならば今作はエヴァンゲリオン 新劇場版の「序」にあたるわけで、残りの作品が「破」「Q」「シン」のようになっていくのであれば、これはこれでアリなのかもしれない。
まさにそれなら今作はリブートでも仕方ないのかもしれない…


結局シンゴジラの様な体験をシンウルトラマンであまり感じなかったのは、「禍特対」の存在感の無さと活躍の乏しさだと思う。

冒頭のシーンで立て続けに出るカットで現在に至るまでの経緯を説明しているが、「この組織でどうやってきたの?」と思ってしまったり、組織自体に軍事力がない為結局自衛隊とかの力を借りなければならない。
加えてトップの班長のリーダーシップをあまり感じないし、ウルトラマンが神永と分かってからは彼ありきで行動するせいで「禍特対は何かした?」っていう印象がすごくある。


もう一つこの物語の世界観に違和感を持ち続けた要因が、随所にあるコメディ要素や性的描写ととれるシーンやカメラワークの数々。

禍特対のメンバーから時折出てくる「めちゃ強ビーム」などの漫画みたいなセリフには、シンゴジラの様な緊張感漂うムードがなく冷めてしまった。(まるで少し前に話題になった大怪獣のなんちゃらのような下ネタパレードを思い出してしまった)
この演出でシンゴジラのような世界観との差別化を図るという意味もあるかもしれないので、否定はしきれないが私は好きになれなかった。

加えて度々長澤まさみ演じる浅見弘子がドアップである体の部位を叩くシーンは目を逸らしたくなるし、このシーン意図が分からなかった。
さらには、
巨大化するシーンでのカメラワークでは、意図的と思える様な際どい写し方をしていて、物語の世界観にこの要素は必要なのかと思ってしまう。
極め付けに班長が巨人に向かって名前を叫ぶシーンはバカらしすぎて恥ずかしくなった。


次に、
神永新二ことウルトラマンについて
元々予告編で斎藤工演じる主人公がウルトラマンであることが分かる内容だったので、正体の明かし方は割と序盤で来るとは思っていたが、それにしても明かし方とそれまでの過程が薄いと思った。

劇中ではウルトラマンが出現するタイミングで神永がいなくなるという描写はあるものの、深掘りされることもなく現代らしく?動画で正体がわかるという展開。
それまでで度々いなくなる神永に対しての禍特対の心情や疑わしい行動を目撃する描写とかがあれば良かったのでは?と思う。

それかいっその事、
最初から「禍特対に配属になった神永だ。俺はウルトラマンだ。」などと最初から正体を明かしている前提で進めるのも一つだったと思う。

他に、元の神永新二についても人間性を描かれる様な感じがなかったので、そこら辺も知りたかった…(勇敢なのは分かるけどそれくらい…)


また、
これはシンゴジラにも言えることだが、
シンウルトラマンでも民衆の心情とかが分かる様な描き方があまりないのはもったいないと思った。
そのせいで禍威獣出現→現場映像→禍特対のやりとり→現場での戦闘のようになってすごく狭い演出のせいでその影響で何が起きてるかがよく分からない。

せっかくウルトラマンこと神永が救った少年がいるのなら、その少年を民衆の中心として彼目線で世間的な描写をしていればもっと面白かったと思う。


次に、
禍特対での浅見弘子と神永新二について
劇中では浅見から「バディ」という言葉が度々出てきており、神永が危機に陥った際には「バディだから助けに来ると思っていた」のようなセリフがあるものの、劇中では2人の関係性については大した内容が描かれていない。
これはラストシーンに至るまでの2人の関係性とセリフでも、それらについて深掘りされていないせいで感情移入しにくいと感じた。


禍威獣との戦闘シーンについて
これはCG映像ということもあり見たことがないようなウルトラマンの動きを見れて良かったが、正直ザラブ星人との戦いが頂点で残りが消化不良の印象が強い。

メフィラス星人とのやりとりは山本耕史の演技力もあり、凄くメフィラス星人の不気味さを出せていたと思う。

メフィラス星人の企みが、世界の国々まで巻き込んでウルトラマンの存在やそのシステムの奪い合い?になっていくような描写があるが、それについても世界がどういう動きをしているのかが描かれていない。

またメフィラス星人との戦闘ではフェードアウトする様な感じになってしまい、ラスボス戦でも歯切れが悪い終わり方だった印象。
そのせいでザラブ星人との戦い以降は特に印象に残らない感じがする。


後半にかけてメフィラス星人の誘惑や企み、光の惑星の使者?とのやりとりや立ち位置など分かりにくいところが増えていった印象。
ラスボスを倒す過程も専門的すぎて難しかった。


ラスボスを倒す過程については、
人類の叡智を集結して打開策を考えていくという流れなのに、目立つのは禍特対の滝ばかりで他の人たちが何をしたのかが分からない。

滝がその決断に至る前に挫折する様な演出があるが、そうなる意味もよく分からない。

ラスボスを倒すシーンも何かあっさりとしていて、「え?終わったの??」って思ってしまった。



感想はモヤモヤがかなり強くなってしまったが、シンゴジラのように「ゴジラ」というコンテンツを万人に共感できる様な使い方をするようなものか、シンウルトラマンのように過去のリスペクトやリブートをするような作品かどちらが好きかタイプが分かれるかもしれない。


シンエヴァ当時からシンウルトラマンについて報道が出ていたこともあり、シンエヴァで「ゴルゴダオブジェクト」などの要素が今作に反映されていなかったのは、自分なりに拡げていた世界観があまりなくて少し寂しかった。
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