マトリックスファンの既視感を逆手にとる前代未聞のセルフパロディ映画❗️
1999年に今は無き渋谷パンテオンで「マトリックス」を見て衝撃を受けてから22年も経った。
あまりに久しぶりの劇場マトリックス体験だ。
賛否両論の否が多いがIMAXで堪能できてまずは満足。
お世辞にも傑作とは言えないが、、
これでもか!というセルフパロディと自己批評の極致の果てに、嗚呼、監督のラナはこう解釈して欲しかったのね、こう落とし前つけたかったのね、と妙な納得感があった。
あとマトリックスを揶揄する世間や安易な企画が横行する映画界にこんなに不満があったのね、と感じた 笑
自身がネオであることを忘れたアンダーソンが「マトリックス」トリロジーのゲームを作ったクリエイターという設定は最初やり過ぎと思ったが、そうすることでラナの言いたいことが伝わるとも思える。
だからこの作品は、マトリックスを劇中で批評的に語る3重入れ子構造になっている(現実世界とマトリックスとそこで作られたゲーム「マトリックス」)観ている私たち観客も共犯関係のように感じられるので4重構造か。
噂では1作目の続編と聴いたが、ちゃんと3部作トリロジーをふまえて、その先を描いているのは嬉しい。
人間と機械の関係性もよりわかりやすく説明されている。共生と力関係の変化を感じさせる。
ラナの言いたいこと全部詰め込んで、1作目に限定回帰している。
アクションもCGよりも肉弾的にして、肉体の痛みと現実の痛みを強調していた。
トリニティをキーパーソンにしているのもこれしかないと思える。
クライマックスのアクションは見ていてカタルシスは無かったが、最後の抜け感は良かった。
狙ったようなギャグが多いのは蛇足だけど。。
そして、ネオとトリニティに刻まれた皺と白髪交じりの頭を見て、22年の月日に想いを馳せつつ、ふと思う。
これは私たちの物語ではないかと。
そう、個人的に感じた裏テーマは「使命と情熱と本当の自分を忘れて眠ってしまった中年(ネオとトリニティと私)よ、もう一度目覚めて、美しい夢を見よ❗️」笑
でも、まあ一言でまとめれば、
やりたい放題、遊びすぎ‼️笑