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ビクター/ビクトリアのにくのレビュー・感想・評価

ビクター/ビクトリア(1982年製作の映画)
3.0
ブレイク・エドワーズ監督『ビクター/ビクトリア』(Victor / Victoria, 1982)

 1982年のハリウッドの状況を『ラヴェンダー・スクリーン』(1993年)を著したボーゼ・ハドリーは以下のように記述する。

 それはハリウッド始まって以来のできごとだった。ゲイをテーマとした映画が、1982年の年頭だけで5本も封切られたのだ。その内訳は『マイ・ライバル』、『メーキング・ラブ』、『ビクター/ビクトリア』、『デストラップ 死の罠』そして『パートナーズ』の5本。(中略)ハリウッドは5本の映画に7000万ドルをつぎ込み、一般の観客がゲイを映画のキャラクターとして受け入れられるかどうかの賭けにでた(ハドリー 245)。

 『ビクター/ビクトリア』は1982年に公開された上記5作品のなかで最大のヒットを飛ばし、唯一オスカー(主演女優/助演男優/助演女優の各賞を含む7部門)にもノミネートされた。そしてこれはもちろん、「ある部分、ジュリー・アンドリューズのために用意された昔ながらのスター映画」だったのであり、そのなかで「多くのアメリカ人に、初めてポジティヴなゲイのキャラクターを紹介」することとなった(同書 247)。
 この作品が下敷きにしているのは1933年にラインホルト・シュンツェルが撮ったドイツ・ウーファ製ミュージカル・コメディ、『カルメン狂想曲』(Viktor und Victoria)である。 ウーファ(UFA:ウニヴェルズム映画社)が誕生した1917年以降、ナチ政権が成立した1933年まで、ドイツでは『制服の処女』(Madchen in Uniform, 1931) や『カルメン狂想曲』を初めとして同性愛や異性装を扱う映画が何本か製作されていた。だが、ナチスが台頭し「不健康」な同性愛映画を上映禁止処分するに及んで、そのようなテーマを含む映画は無論、新たには作られなくなった(同書 17-18)。
 他方のアメリカ映画業界でも、とりわけトーキーが登場した1927年以降、自主規制の動きが加速し、1934年にアメリカ映画製作配給業者協会(MPPDA)が映画製作倫理規定(1930年採用)を強制するようになると、「性的な多様性の暗示」、「同性愛的なテーマ、キャラクター、さらには名前まで」がいかなる場合においても禁じられ、「セックス全般」が脇に追いやられた(同書 16, 19)。 このいわゆるヘイズ・コードによる規制体制は1968年にレイティング・システムが採用されることで終焉を迎えるが、同性愛や異性装が肯定的にスクリーン上で描かれるようになるには1982年の『ビクター/ビクトリア』の公開をまたなければならなかったというわけだ。 こうして戦前のドイツ映画の先駆的な流れが1980年代初頭のアメリカに接ぎ木されるかたちで復活することとなったのであり、そのこと自体、同性愛や異性装がとうてい「主流」足りえなかったドイツ(ウーファ)=アメリカ(ハリウッド)の50年余の状況を裏焼きするのである。
 さて、『ビクター/ビクトリア』の舞台は1934年冬のパリである(つまりこの映画はドイツで『カルメン狂想曲』が公開された翌年、かつハリウッドでヘイズ・コードが強制されるようになった年に自らを接続してみせる)。まず、本作で二度目のオスカー(主演女優賞)にノミネートされたスター、ジュリー・アンドリューズ演ずるところのビクトリアが「マッチ売りの少女」よろしく困窮した状態で登場する。彼女は歴としたソプラノ歌手であるが仕事がない。同じく職を失ったゲイで初老のクラブ・エンターテイナー、トディ(ロバート・プレストン)と知り合った彼女は、仕事を得るためにポーランドからやってきた伯爵ビクター・グラジンスキーの名を騙り、(ひとまず男装し、その後)「女装」して舞台に立つことになる。ビクター/ビクトリアのパフォーマンスはたちまち人気を呼び、舞台は毎夜、ビクトリアが「女装」を解いて「男性」ビクターと同一人物であることを暴露する瞬間にクライマックスを迎える。
 つまりこの軽快なハリウッド製ミュージカル・コメディは、女性が男装して男になり、さらにもう一度、男として女装するというかなり複雑なコスチューム・プレイとして注意深くかたちづくられてもいるのである。そのような側面を、トランスヴェスティズムを通して既存の異性愛的なジェンダー観を問い直すものとして評価することもできるだろう。例えば竹村和子は、ビクトリアが恋人のキング・マーチャンド(ジェイムズ・ガーナー)に向かって投げかける次のような台詞に注目する。「ギャングとビジネスしているのに、ギャングでない振りをするのね。私と同じだわ。私たちは2人とも、何かの「振り」をしているのよ」。これを竹村は「女/男というジェンダーも、同性愛/異性愛というセクシュアリティも、ビジネスマンやギャングという社会的機能と同列に扱われ、すべてパフォーマンスによって作り上げられていることが示唆されている」(竹村 58)と評価するのである。
 しかし竹村は同時に「これはハリウッド主流映画なので、根底には強制的異性愛が存在しており、ジュリー・アンドリューズがレズビアンになることはない」とこの映画の非・革新性をも指摘する。ジュディス・バトラーもまたこの映画が「きわめて異性愛的なエンターテイメント」であり、アンドリューズのパフォーマンスも「「ストレート」と「非ストレート」の境界線を追認するだけ」であり、結局のところ「クィアなものの侵入を防ごうと、つねに境界線に目を光らせている異性愛機構に寄与する儀礼的なガス抜き」に過ぎないと批判する(サリー 171-172/Butler 85)。
 なるほど、我々観客はアンドリューズがヘテロ・セクシュアルであることをあらかじめ知っている。そもそもこの作品で脚本と監督を担当したブレイク・エドワーズは彼女の夫なのである。 ここに見出されるのは極めてヘテロな夫婦の「共演」なわけであり、役者としてのアンドリューズのセクシュアル・アイデンティティーに「疑念」を抱く観客がいるとは考えにくい。 また、冒頭で「マッチ売りの少女」(無垢な少女の象徴)として登場するビクトリアについても、人々は、ヘテロ・セクシュアルな女性だと即断するに違いない。男装して「女装する男性」ビクターを劇中で演じるビクトリアもまた、キングという男性に恋する(結婚を望む)ことで自らが異性愛者であることを表明し続ける。いかに異装を重ねようとも「アンドリューズ//ビクター/ビクトリア」のジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティは微塵も揺らぐことがない。 「私、男よ」、「男でもかまわん」、「私、男じゃないわ」、「それでもかまわん」というビクター/ビクトリアとキングのやり取りは、これとよく比較される『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot, 1959)のラストの台詞("I’m a MAN!" / "Well, nobody’s perfect!")ほどには攪乱的に響かないのだ。
 つまり、先述したような映画史的背景を考えるならば、『ビクター/ビクトリア』は充分評価に値する作品だろう(その後の同性愛・異性愛映画の増加傾向を見れば、ハリウッドは賭けに勝ったのかもしれない)が、主人公であるジュリー・アンドリューズをめぐるジェンダー的な主題がそこで充分に展開されたかといえばそうではあるまい(そもそもなぜビクトリアはキングに恋をするのか。金持ちでハンサムで「ちょい悪」だからか?)。
 だからむしろ、ビクトリアとトディの間(You and Me)で、セクシュアリティやジェンダーを超越したところに生じた「友情」について考えてみる方が有益なのかもしれない。 あるいはなぜこの映画が、(ハリウッドで「初めてポジティヴ」に描かれたゲイ)トディが男性と同衾しているシーンから始まり、最後も彼の女装パフォーマンスで終わるのかについて考えてみる方が(ただしこの、女装したトディがビクター/ビクトリアとまったく同じ扮装で歌って踊るシークェンスは、「汚いオカマ」を笑いものにしているようにしか見えなかった。「女装」は笑いの対象になるが「男装」はそうではないという問題がここにも浮上する)。 はたまた、本筋からは外れるところで突然開示されたボディー・ガード(本当にアメフトのスター選手だったアレックス・カラス)のセクシュアリティについて、さらにはノーマ(レスリー・アン・ウォーレン)のドラァグ的「女装」とパフォーマティヴィティの関係について思いをめぐらせてみる方が。

[参考文献]
石原郁子『菫色の映画祭―ザ・トランス・セクシュアル・ムーヴィーズ』、フィルムアート社、1996年。
小藤田千栄子「ジュリー・アンドリュースについに大人の傑作喜劇が生まれた」『ビクター/ビクトリア』(パンフレット)、1983年。
サラ・サリー『ジュディス・バトラー』竹村和子他訳、青土社、2005年(原書は2002年)。
『セルロイド・クローゼット―カムアウトするハリウッド』(パンフレット)、1997年。
竹村和子「カミングアウトして、どこへ―ジュディス・バトラーとレズビアン映像表象」『彼女は何を視ているのか―映像表象と欲望の深層』、作品社、2012年、49-65。
ボーゼ・ハドリー『ラヴェンダー・スクリーン―ゲイ&レズビアン・フィルム・ガイド』奥田祐士訳、白夜書房、1993年(原書も同年)。
Judith Butler, Bodies That Matter, New York: Routledge, 2011 (First published 1993).