ゴトウ

WAVES/ウェイブスのゴトウのレビュー・感想・評価

WAVES/ウェイブス(2019年製作の映画)
3.7
ポスタービジュアルとか宣伝のされ方とかが、内容と全然違いすぎ。映画館にカップル、サントラに軸おいた宣伝が刺さりそうなサブカルファンっぽい人いっぱいいたけど、犯罪者家族の苦悩と再生みたいなところに話が展開していくとは。ちょっとネタバレするかも。

町山智浩のツイートでも紹介されていたのを見たけど、作中で画角が変動するのが印象的。タイラーが肩を故障して選手生命が絶たれるところで上下に黒の帯が現れて横長の画面に、タイラーが決定的に後戻りできなくなってしまったところで左右に黒の帯で正方形に近い画面になる。どん底に落ちていくタイラーの心情を象徴しているのか、この画角が再び広がっていくところにまたもう一つ仕掛けがあって面白かった。

堕落していくタイラーの心が閉じていく様と取ることもできそうだけど、特に上下のバーに関してはあからさまに、ザ・映画感を演出している。それまではなかった上下の帯が画面を虚構然、「映画」然としたものにする。前者はタイラーの現実を受け止めきれない(現実を現実として受け止められない、悪い夢でも見ているかのような)心情であり、同時に「これは映画の中の話」と観客をある種突き放すようでもある。悲惨な事態が(さらに悲惨になっていく予感とともに)進行していくのを前にこういう編集をするのが面白い。あとはレスリングを失って、より深く仮初のロマンスに溺れていく=視野が狭くなっていく表現なのか。あと激しくカメラが回転したりして、「何やってんだかわかんないけど楽しい/ヤバい」みたいな演出も良い。

上下の帯がタイラーの物語を「映画」然とさせているとしたら、自戒も込めてかなりスノッビーな感覚だなと思ってしまう。スポーツマンで綺麗でデカい家に住んでて、可愛い彼女がいてインスタにオシャレな自室で撮った筋肉自撮りのストーリー載せるようなやつが、オシャレな音楽に合わせてイケイケな青春送ってるのに感情移入できねえなあと思って観てたのに、選手生命絶たれてドラッグにハマって…ってなると入り込めてしまう。少なくとも日本でこの映画に関心持ってる人ってナード層だし、「こうなってこそ映画だよね〜」みたいなのってよく考えれば何様のつもりなんだよって話。そもそもタイラー本人がカニエとかケンドリックは聞いているにしても、その他の音楽は聞いてなさそうな感じなのもミソで、「ミュージカルを超えたプレイリスト・ムービー」の触れ込みにも「僕たちがこんな青春物語にぴったりな音楽を選曲してあげるよ」みたいな押し付けがましさを嗅ぎ取ってしまうのはナナメ過ぎ?自発的な心情として歌うミュージカルではなくて、スポーツ選手としてトレーニングに勤しんでいたタイラーの勤勉さと努力は間違いないんだけど、そういう実際の肉体的苦しみとかをアウトソーシングしてドラマ(として消費できる部分)だけをオタクが気持ち良くなるために使うのは悪趣味。ミュージカルにも失礼。多少歌詞とリンクする場面はある(増長してるタイラーにカニエの”I am a God"を重ねる演出は良かった)にしても、映画自体のエキサイティングさを増幅するために使うならタランティーノみたいにやれば良いし、イヤホンして歩くときの楽しさみたいなものを映画に内蔵させたいなら『ベイビー・ドライバー』ぐらいやってほしかった。ただ、ポスタービジュアルにもある、日が沈んだ後、雷鳴だけが聞こえる海でキスするシーンは掛け値なしで美しい。

とかなんと考えながら、あくまで虚構の中のものとして眺めていたタイラーの堕落が突然、決定的に地獄のようなものに変貌してしまう。と、そこで現れる左右の帯。オシャレだね、とか言って観てる場合じゃなかった。ヤバい…みたいな感じでスクリーンへの没入具合を意図的に操作されてるような感覚もある。これはこれで面白いんだけど、なんか映画であることを利用した映画、こざかしすぎる気もしなくはない。本当に冷静に一歩引いて見てると、そんな衝撃で頭かち割れるか?と思わなくもない。

マッチョイズム、家父長制的なものってうまくいっている時はそれで良いけど、勝ち続けることで駆動するシステムは勝てなくなった時に自壊するよね…みたいな話はオシャレさや勝ち組っぷりとは関係なく苦しくなるものがあるな。「なんで言わなかったんだ」「相談してくれれば…」っていうけど、相談できないようにしたのもお父さんたちでしょうって。お父さんにもお父さんで、決して恵まれているとは言えない出自からのし上がった自負と子どもたちも成功しなくてはならないという強迫観念があるのであって、「辛い」「苦しい」と言えないばかりにより辛くて苦しくなっていってしまう。アレクシスの妊娠発覚からはオロオロしたり怒鳴るばかりのタイラー、「勝てない」土俵に上がってしまった時にどうしたら良いかわからなくなって無様な姿を晒すのも痛々しいものがあった。

と、ここまで総括して映画は半分くらい?A面/B面のごとく、主役が交代して別の物語が始まる。タイラーの妹エミリー役テイラー・ラッセルが好演!あれあれ、と思っている間に「殺人犯の家族の再生」みたいな物語になったのでついていくのが大変だった。タイラーの物語と対応関係にあるエミリーの物語。水に浸かりながらのキスとか車の中の二人とグルグル回るカメラとか。ただ、海→川(泉?)、晴れ→曇り、朝→夜みたいに変わっているところもある。表/裏、光/闇みたいに捉えるのもちょっと違うかなという感じもする。衣装とか部屋とか空とアレクシスの爪の赤と青が印象的だが、タイラーとエミリーの交代あたりでパトライトの赤と青が交互に画面を照らす場面に象徴されるように、単純な二元論で捉えることを拒否している。

そう考えると、心を閉ざしたエミリーに声をかけてくるルークの服が赤と青と紫…みたいなストライプのシャツなのも意味があるような感じがする。タイラーの部屋のカーテンと同じなんだよね。ポスタービジュアルの空の色でもある。二人人が並ぶ時にそれぞれ赤と青の服でいる場面も多かった気がする。この二人の会話場面が最高でした。『ハーフ・オブ・イット』をよりピリピリした感じにしたような。長さにして数分だけど素晴らしかった。あと、エミリーの方は本人がアニマルコレクティブだのフランクオーシャンだのを聞いている演出があるので、タイラーパートの嫌な感じがしないのも好ましい。

タイラーの事件をきっかけに一度は離散ギリギリまでいくものの、今まできちんと向き合ってこなかった家族と向き合い、再び絆を結び直す。ぶっちゃけ陳腐ですが、エミリーの演技が本当にすごくてそれだけで間が持つと思いました。前を向いて歩き出すエミリーの心が晴れていくと同時に、正方形→横長→黒の帯なし、と再びスクリーンいっぱいに美しい景色が広がり始める。タイラーパートでは画角が狭くなるごとに没入を促していたのに、エミリーパートでは画角が広がるごとに感動が増していく。と同時に、画角を意識させる=スクリーンの存在を意識させることで、映画が終わって外に出ていく観客の背中を押しているような印象も受ける。画角の変動、人物や状況を微妙に変えながら繰り返される演出、良い時も悪い時もある人生、人の感情…などなどをWAVE、波になぞらえているというのも上手い。「愛が、再び押し寄せる」のコピーも素晴らしい。

と、ここまでいろいろ書いてきましたが、タイラーパートとエミリーパートが融和しきってない。あとは上に書いたように「プレイリストムービー」が鼻につく(特に前半)。構造の巧みさが評価されているのかもしれないけど、それぞれ一本で観たかった気もするな。タイラーパートの序盤からの急変とかを見るにある程度はわざとやっているんだろうけど。かなりすすり泣いてる人が二人くらいいたけど、そんなに泣けたかなぁ。僕は後ろで見てた三人組の「これ音楽もっとわかったら感動できる?」「う〜んあんまり関係ないかな…」という微妙な反応の方に共感しました。プレイリストムービー見るならプレイリスト聴くんすよね。死ぬほどフランクオーシャンが好きなら流れただけで泣けるかもしれんけど、それ映画じゃなくて良いじゃん。相乗効果は大して感じませんでした。あとアレクシスの家族の救いが描かれない割にあんなにねっとり映されるとシンプルに苦しいな。一人死んでいる割に適当な気がした。

一本の映画でありながら二本立てかのような作りになっている…というのも、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』を小さい頃に観てしまったのでそこまで新鮮じゃありませんでした。エミリー役の女優さんの素晴らしさでスコアが上がりましたが。「A24」の名前がもうハードルを上げてしまうようになった感がある。あと、Filmarksが映画に出資するようになってるの知らなかった。『パラサイト』にも出してたのね。
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