YukiSano

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのYukiSanoのネタバレレビュー・内容・結末

4.9

このレビューはネタバレを含みます

愛しかなかった。
戸惑うほどに愛が爆発していた。
全てのスパイダーマンを愛した人、打ち切りに傷ついた人、新しいスパイダーマンに馴染めなかった人、そんな皆を抱き締めるために生まれた名作。公開初日に観て、言語化できない感動が詰め込まれていて劇場では拍手と喝采に包まれていた。

スパイダーマンに関わった全ての人を救済するために、誤解や不幸な事故でヴィランとなった人々に愛ある結末を与え直すという凄まじい懐の深さを見せる。

これは赦しの物語だけでなく、わだかまりの昇華、魂の昇天まで描ききっていると感じた。

ピーターとヴィラン達は僕たちそのもので傷つきながら懸命に生きている1人の人間である。怪物に転ぶかヒーローに転ぶか分からない。そんな過ちを抱えた人間達の救済、または赦せるのか。それを描くことでヒーローはいかにしてキリストに近づくのかさえ考察しているかに見えた。

堕天する者、それを倒すために傷付く者、両者を救うことは出来るのか?まさにキリストの受難をピーターパーカーに課すことによって現代に聖人が成し得るのか考察してるかのよう。


ライミ版スパイダーマンをこよなく愛し、スパイダーマンに人生を変えられるくらいに救ってもらったと思っている自分には今回の物語は、シュールな奇跡であり、本当に叶うとなると感激と戸惑いが混在してパニックに至った。

またアメイジングシリーズはライミ版を打ち切る原因のように感じていて手放しで受け入れていた訳ではなかった。しかし、今回もっとも救われたのはアメイジングシリーズではなかろうか。それが昇華された時に私の心のわだかまりが氷解し、自分の何かが成仏したのを感じた。それぞれの人に押しスパイダーマンとアンチスパイダーマンがあると思うが、それら全てを包み込み、愛で洗い流してくれる。

堕天したヴィラン達への優しい眼差しは、あり得ないレベルまで高みに到達し、内面やキャラへの理解も掘り下げられている。普通にこういう大集合復刻映画は、だいたいキャラクターが別人格にしか見えず顔見せ程度で終わるのに、この作品は違った。それぞれに救いの手を伸ばした。特に全てのオリジンたるグリーンゴブリンに対する理解と意味付けは尋常ではない。正に堕天使であり、スパイダーマンというキャラクターの鏡として掘り下げるための象徴なので、単に復活したのではなく、ピーター・パーカーをスパイダーマンとして完成させる対の存在として登場している。彼の存在感こそが実はノーウェイホームに深みをもたらしている。

このキャラクター達の救済は、大人の事情で打ち切られたシリーズ全てへの贖罪と救済に他ならない。それは今までシリーズに関わったスタッフ・キャストさえも救う行為だろう。ソニーとディズニーの権利関係やキャラクターのライセンスなど多くの問題があったことは推察できる。しかし、今回それらを乗り越えて実現させた関係者の努力や誠意に感謝したい。このような奇跡を生むためにどれ程のことが繰り広げられたのか想像も付かない。

トビー・ピーターがドックオクに微笑み、アンドリュー・ピーターがMJを救った時の感動は尋常ではなく、未だに思い出しただけで目頭が熱くなってしまう。そしてホランド・ピーターの最後の選択はトニー・スタークから受け継いだ意思であることも胸に深く突き刺さる。横次元でも縦次元でも全てが伏線となって帰結していく衝撃が凄まじい。

思えばMCUが悪を悪と描かなくなったフェーズ4は、正義への疑問、神への挑戦とも取れるテーマが見え隠れしてきた。今回、グリーンゴブリンことノーマンが堕天した悪魔としてスパイダーマンに聖人でいられ続けるか問いかけた。メイ叔母さんの言葉を捨てそうになったピーターを救ったのは別次元のピーター。つまり自分自身。これはドラマ「ロキ」でも示された本当に自分のことを理解し、救うことが出来るのは自分自身のみというテーマとも通じる。

巨大な宇宙の孤独の中で、自分のことを本当に理解してくれる存在と出逢えたピーター達はそれぞれの次元でも1人で戦っていける勇気を得たのだと思う。それは、スパイダーマンという存在だけでなく、救われたヴィラン、そしてスパイダーマン関係者全てにも与えられたものだろう。

きっと、この作品を観た少年や、かつて少年だった大人達にも多大な勇気を与えたと思う。かつて僕が本当にスパイダーマンに救ってもらったように。

その心がある限り、誰もがスパイダーマンにもなっている次元がある、そんな風に信じたくなる。こんなすごいプレゼントを有り難う。

もはや、この作品には愛しか残らない。ずっと忘れない。
YukiSano

YukiSano