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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

ヒーローもヴィランも高学歴が多いことが分かる映画。

サイエンス高校に通うピーター、MJ(メアリー・ジェーンではなくミシェル・ジョーンズなんですね)、ネッドがMITへの入学を断られるのがコトの発端だ。

助けを求めたドクター・ストレンジは「ストレンジじゃなくドクターだ」と言うし、ピーターのMITへの入学の企てを手伝うのも学ぼうとしている若者を助けたいという気持ちが大きかったのではないか。

ストレンジは大学に通ったことがあり(ことによっては教える立場だったかもしれない)、学生の置かれた境遇を考慮する大学の仕組みを知ってるので、「事情を話して請願しなかったのか?」と、ピーターに確かめるのだ。

そのあとに出てくるドクターオクトパスもノーマン・オズボーンも、名前の前に「ドクター」を付けて呼ぶことを要求する。

彼らは全員、大学教育を済ませ、科学的業績を残し、博士号まで取った存在として、ピーター・パーカーの前に立ちはだかる。

そういうピーターがこれからなったであろう大人対大学入学前の前途有望な(だけど世間の仕組みを何も知らない)若者、という構造がある。

自分のことをみんなが忘れたあと、高校卒業資格の勉強をしているのも、基本的に彼が教育を求める真面目な若者だからだ。

そんな彼をストレンジも応援したいと思っているが、「すべてを欲しがる」(引用者注: グリーンゴブリンのピーター評)欲張りなピーターにより魔法を邪魔され(私がエンジニアなら「発注後に仕様を追加するな!」と切れてる)、マルチバースからヴィランやヒーローを呼び出すことになってしまう。そして大きなツケをピーターは最後に払わされ、「偉大な能力は大きな責任を伴う」("With great power, comes great responsibility")ことを自覚する。最初に「偉大な能力」があり、それには「大きな責任が伴う」ことをピーターが学ぶまでの壮大な三部作だった。

めちゃくちゃエモかったのが、アメイジングスパイダーマンがグウェン・ステイシーを喪ったあと、荒れたことが分かること。こちらの世界のMJを落下から救い、グウェンを救えなかったことからやっと救済されたこと。年齢順で言えばピーター2であるはずなのに、ピーター3と呼ばれていること。「ピーター3となっているのは、アメイジングスパイダーマンだけ三部作ではなく二部作で終わったことにかけてるのかな」と勝手に想像した。観終わった日にSONYの公式アカウントがアメイジングスパイダーマン3の製作を匂わせるツイートをしていたので目を見張った。

トビー・マグワイアのピーターも、おばあさんに優しかったり、MJとの関係を聞かれ、「複雑なんだ」と答えてたりして、ライミのスパイダーマンのその後を想像させてよかった。

トビーのピーターはいちばん大人でチャーミングな思いやりに満ちているし、アンドリュー・ガーフィールドのピーターは戦いの前にほかの二人に「愛してる」と言える感情表現が豊かな人だし、トム・ホランドのピーターは「僕はチームで戦ったことがあるから教える」と大人に臆することなく対することができる勇気ある若者だ(結局は「現場合わせ」な戦い方だったけど)。それぞれのキャラが存分に活かされていて、作り手のキャラクター理解の深さが素晴らしかった。

それにしても、トビーのスパイダーマンを久しぶりに観たことで、画面が伸縮するような躍動感に満ちたスパイダーマン映画はサム・ライミのものだけだったな、と改めて実感。

同監督の『マルチバース・オブ・マッドネス』を観るのが楽しみだ。
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