Stroszek

黄龍の村のStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

黄龍の村(2021年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

67分とサクッと観られるのがよい。こういう映画がもっと増えてほしい。しかし別にスカッとする映画ではない。中盤に大どんでん返しが待っているが、そのどんでん返しがあることによりヤダ味が増す、というか。

8人の男女がキャンプへ行き、タイヤがパンクし、ロバに乗った通りすがりの村人たちに助けられる。ところがそこは人肉食を行い、「オビンタワラ様」という正体不明の神を奉る村だった。

村の人々が、新宿のゴールデン街にいそうな中年男女にしか見えないのが難点か。

悍ましいものを描くのに人肉食というのは安易だろう。なんとなく悍ましい感じを出したいだけで、そのモチーフに興味関心があるようには見えないし。「人肉食を出しておけばそういう雰囲気は出せるだろ」という安易さしか感じない点は、『N号棟』と同じである。

オビンタワラ様に供える人肉丼に海苔とマヨネーズが載っているが、のちのオビンタワラ様の「人の肉だけを食って生きてきた」という発言と矛盾するのでは?

攫ってきた若い女と村の男を番わせて子どもを作っているようなのだが、子どもの姿がない(村人は皆殺しという結末なので当然かもしれないが)。

後半のアクションを頑張る男女を描きたいのは分かるが、前半の村における因習部分を小馬鹿にしたような作りはよくない。4人(先に潜入していた妹を含めると5人)は明らかに陽気なパリピの4人を、村に潜入するための囮として使っている。村人に殺された身内の復讐として、若い男女を生贄に捧げたようなものだから、村人も生き残る男女も負けず劣らず悍ましいことを行っている。

なぜか宿泊の準備が出来ている古民家の土間で三つ指ついて若者たちを出迎える女性たち、胸の谷間もしっかり見えている。ジェンダー描写もかなり問題がある。のちにその中心人物がかなり強い中国拳法の使い手と判明してもその描写のヤダ味は相殺されるものではない。

冒頭のパリピ男女の描写とエンドロールの生き残り男女の描写がループしている。毛色の違う4人を車でBBQに連れて行ってあげた死んだ4人の方がどう考えても性格がいいように思える。そのときに観ている方のすっと離れちゃうんですね、気持ちが、終盤頑張った4〜5人の男女から。梶原にとっては「青春を取り戻す」旅だったのかもしれないが、死んだ4人の青春はもう戻ってこない。これは物語表象としてはどうなんでしょうね。ホラー映画は若い命が惜しみもなく失われるところに醍醐味がある訳ですが、この映画は出口が違って最後はアクション映画になる訳じゃないですか。タランティーノ風味って言うか。でもタランティーノの『デス・プルーフ』でも、犠牲になる若者ととっちめるスタントウーマンのパートは前後を分けていたので、そこらへんの物語内倫理の展開処理がこの映画はあまりうまくない。

なんとなく爽快感がなく、モヤモヤが残る造りだった。短いのはいいんだけど(二回目)。あと梶原がオビンタワラ様に止めを刺さずに助手として雇ってたのもよかった。
Stroszek

Stroszek