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ファースト・カウのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ファースト・カウ(2019年製作の映画)
3.0
[搾取の循環構造と静かなる西部劇] 60点

前々作『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』以来6年振りに舞台がオレゴンに、盟友ジョナサン・レイモンドが脚本家として戻ってきた。三者の繋がりは『Old Joy』以降5作品16年にも及んでいることからも分かるが、特にオレゴン出身のレイモンドは地元愛が強く、オレゴン出身のスタッフが多かったことも加わって、オレゴンを舞台にした作品が多かったというのが真相のようだ。事実、本作品も2004年に出版されたレイモンドの小説デビュー作「The Half-Life」に着想を得ている。ちなみに、レイモンドとライヒャルトには現状再びオレゴンを舞台とする予定はないらしく、過去20年近くインスピレーションの源だった彼の地を離れようとしているとのこと。

本作品では『Meek's Cutoff』よりも古い1820年代が舞台となる。お金稼ぎのために西部にやってきた料理人のクッキーはトラッパーの集団に付いてオレゴンにやって来た時、中国人のキンルーと出会う。階級の上下に関係なく暴力的で粗野な人々で支配された砦で、たった二人物静かな男たちは再会し、友情を深めていく。男二人の物語といえば『Old Joy』以来となるが、同作はマークとカートの間にある語られない時間が映画の時間と並行して流れることで重層的な人物像を掴み取ることが出来たのだが、本作品では同作と同じペースなのに一次元的かつ結末を見せてしまっているので、少々面白みに欠けてしまう。それでも、二人の優男が友情を深めながら料理でのし上がろうとする姿を、銃も暴力もなく描くのは西部劇というジャンルを静かに解体していることに他ならない。まあ、それも『Meek's Cutoff』でやってたけど。

彼らが生活する砦の偉い人の庭に州で初めての雌牛が到着する。商才のあるルーと料理人であるクッキーが彼女のミルクを使って揚げドーナッツ的なものを作ろうとなるのは自然な流れであり、それを売りさばいて次なる夢の資金にしようとする。その客の中には雌牛の飼い主も含まれており、搾取の循環構造が皮肉のように機能している。二人は金持ちや暴力的なトラッパーたちに搾取されているように見えて、他人の雌牛を搾取する者でもあるのだ。そうなれば一番搾取されている雌牛は、これまでのライヒャルト作品のヒロインに相当するのだろう。

ジェームズ・ベニングやピーター・ハットンのような自然情景(エンクレにはハットンに捧ぐとの字幕が!)から幕を開ける川を下る貨物船、森で地面の匂いを嗅ぐ犬、白骨化した遺体を発見する女性、これらをフィックス長回しで捉える彼らの手法を踏襲しているのは、やはりこれまでのライヒャルト作品に共通している(撮影監督同じだし)。これらの"現代の映像"を挟むのは、勿論隣同士で埋まっている遺体と冒頭のウィリアム・ブレイクの"鳥に巣、蜘蛛に網があるように、人間には友情がある"という詩篇と照らし合わせる働きがある。もう一つ、ルーの"ここには歴史がない"という発言に対して、彼の見た歴史の始まりを終わらせる役目を負っているとも考えられる。勿論彼よりも前に歴史はあり、事実クッキーは二人よりも前からそこに住んでいたであろうネイティヴアメリカンに命を救われている。その時間的な連続性を示すのが大地や川といった半永久的に残り続ける自然なのかもしれない。

冒頭で提示される通り、アメリカンドリームは呆気なく終わりを迎え、時間だけが流れ続ける。良作ではあるのだが、ライヒャルトの他の作品を考えると置きにいってる感じがして少々物足りない。
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