[遂にぶちギレたラヴ・ディアス、アレゴリーを破り捨てる!] 70点
SFという設定はインタビューで「『停止』はSFにしないと風紀を乱した云々で俺がパクられるのでSFってことにした」と言っていたので、ドローンだけでもすんなり納得できるし、寧ろ2034年でも、つまりドゥテルテの20年後でもドゥテルテに似た野郎が"マルコスは英雄"とか言って君臨し、負の歴史はいとも簡単に繰り返すことを予言的に示しているんでしょう。
しかし、それにしたってラヴ・ディアスのドゥテルテ嫌いは許容範囲を大幅に越えたようで、これまでアレゴリックに留めていた表現を生のまま展開し、"大統領はクソだ!"やら"死ね!"といった罵詈雑言が響き渡り、私有化された軍が民衆を殺しまくって夥しい量の血が流れるのには驚きを隠せない。それに加えて、大統領のルナティックなエピソード、例えば精神安定剤をがぶ飲みしながら幻聴と大喧嘩を繰り返し、気に入らない部下や知識人はさっさと殺し、遂には女装してマザコンアピールまでしてしまう一連のエピソード(どれも長い)を理由付けとして、大統領の異常性を訴えてくるのだ。うーん、なんか違うような。勿論、ルナティック大統領は問題なんだけど、権力の私有化はルナティックじゃなくても起こりうる話だし、実際に起こってるのは後者の方だ。その設定までSFというか漫画的な描写に逃げるのはラヴ・ディアスとしては敗北だろう。
言いたいことはいつものことだ。彼は『Hesus the Revolutionary』『Florentina Hubaldo』とかの時代から一貫して、"負の歴史を繰り返してはならない!"と言ってきた。あまりに多くの荒波(植民地→日本軍→マルコス)に揉まれ、思考が停止してしまった民衆が、都合よく過去を"忘れる"ことを身に付け、それによって忌むべき負の過去を称賛し始めることの危険性を20年近くに渡って提示し続けて来たのだ。しかし、その訴えは全く響いてなかった。なんなら世界中にポピュリズムが蔓延し、ベトナムで人を殺しまくってた時代を"古き良きアメリカ"とほざくバカたれがアメリカの大統領にまでなったのだ。勿論、フィリピンにもドゥテルテというマルコス時代を礼賛する輩が登場し、ディアスの努力がなんの実を結ばないどころか、寧ろ昔より悪化するという事態になってしまった。だからこそ、ぶちギレの本作品なんだろうけど、やっぱり上手くはない気がする。擁護ならいくらでも出来るけど(というか今してるけど)。
それに対するラヴ・ディアス的な解決策は痛快なものだ。結局は幾度となく繰り返すであろうことを見越して、ゲリラ組織の中心人物は大統領暗殺を中止し、子どもたちの教育に力を入れると答える。時間が経てば勝手に自滅する独裁者についてはそこまで問題ではなく、腐敗した頭だけ取り除いても、土壌がしっかりしていないと次の独裁者が登場するだけで何も変わらない。それだったら、孤児として放棄された子どもたちに社会に参画できる力と知識を与え、彼らが大人になったら正しい判断を下せるようにしてあげればいいのだ。奇天烈な物語にしては堅実な帰結でほほーんとなってしまう。
いつも通りショットは美しい。私は『悪魔の季節』しか観たことないので、この二作の比較になるが、斜め上からの俯瞰ショットが減り、人物の目線に立ったショットが目立ったように思えた。あと、電車から降りるハミーをハンディで追ってるシーンがあって、"ラヴ・ディアスがカメラ動かしてる!"ってなった。あと、歌ってないのが不思議だった(情弱みたいな発言)。