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リチャード・ジュエルの教授のレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
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相変わらずのイーストウッド感。
実話ベース。映画のトーンも特に目新しさはなく、抑制されていながらもドラマに味わいがあり、愛国者だった者が、国家や権力に蹂躙され、失いながらも尊厳を守り抜く意思を得ていく主人公。

気負いもなく、力みもなく。
「またかよ」という気持ちにもなりながら引き込まれていく。
1996年のアトランタ五輪における爆破事件から人々を救ったリチャード・ジュエルが、容疑者として疑われてしまう…というイーストウッド印の題材選びであるという点と、題材から生まれる演出による「アレンジ」の手管に圧倒されてしまう。

世代的、個人的にこの時期に異様な流行を見せた「マカレナ」に年月の経過を感じてしまった。
それも含めてなのだが、その風化しつつある(されている)事件や事実に対してのドラマを批評的であるとともに、映画における娯楽性とも並行して描いてしまう点が秀逸。

女性記者による「枕営業」は脚色であるという抗議が来ている一方制作サイドは「事実に基づいて」と発言しているらしく。
その辺りの混乱も加味して、ジュエルと弁護士であるワトソン、母親のボビやFBI、マスコミ、人々が抱きやすい「イメージ」が生む「憶測」と「権力側のやり口」とが手際良く配置されている為、物語が混乱しない。

ジワジワと追い込まれていく恐怖であったり、信じていた価値観の崩壊であったり、そこから主人公が成長して「自分自身」になっていく様であったり、と。
画面に映らない感情を感じさせてそこに宿らせるという「映画」でしか表現できないカタルシスを与えてくれる。

映画終盤の「喋るな」と言われ続けたジュエルの「起死回生の覚醒シーン」の切れ味。内面化された自己から解放され、自らの言葉を吐き出すことで、尊厳を確認して自分は自分であるということに帰結する。結局、またイーストウッド作品は面白い、と痛感してしまった。
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