[投げやりなアイデンティティの放浪] 80点
"自分の居場所がない"と考える十代の少年少女が、自分にとって素敵な場所を探す映画を今年に入って何本も観ている。特に、旧ユーゴ圏の若手作家たちは戦争によって幼いうちに祖国を離れ、移住先で"自分の居場所がない"という感情を強めており、それを映画にぶつけた作品はどれも彼らの苦悩が彼らの中でも、そして彼らを超えた場所でも展開する重厚さがあった。或いは、ジェントリフィケーションによって祖父の家を追い出された黒人の青年が、帰属意識の喪失によって放浪を続ける『The Last Black Man in San Francisco』という作品もあった。両者に共通しているのは、"どこかへ帰属したい"という意識であり、羨望が彼ら/彼女らを突き動かす。
この映画はどうだろうか。取り敢えずフィンランドを目指す主人公の少女にはその"憧れ"が欠如している。別に行っても行かなくてもいいが、私の居場所はここではないどこかにあるはず、という他力本願というか投げやりとも言えるアイデンティティの放浪が本作品の肝だったはずだ。しかし、そんなやる気のない態度が散乱したエピソードの中心に座らされている少女の顔に書いてあるのは、理解は出来るが観ていて気持ちのいいものではないし、後半の意味不明なスピリチュアル展開から物語そのものが発散する方向へ向かっていったのも残念だった。ポスターと題名だけでそれなりのアタリを引いたので、私の『ディスコ』に対する当たりがキツくなってしまった。