土平木艮

すばらしき世界の土平木艮のネタバレレビュー・内容・結末

すばらしき世界(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

あらすじ…旭川刑務所、主人公・三上の出所の日。刑務官に見送られながらバスに乗り『今度こそは、カタギぞ』と呟く→東京、身元引受人の弁護士・庄司の家に招かれ、庄司の妻・敦子と3人で食卓を囲む→翌日、役所で生活保護の申請をする中で、ケースワーカーの井口と知り合う。昏倒し病院へ運ばれる。相当な高血圧で『無理をすると命に関わる』と医師から告げられる→生活保護に引け目を感じる為、働き口を探す。井口の協力も得ながら、携帯も入手し、新しい人生に前向きに取り組む→職を得る為に運転免許の再取得を目指すも、金の工面に苦しむ→一方、フリーのTVディレクター・津乃田、プロデューサーの吉澤に依頼され、三上の母を探すドキュメントを口実に彼に近づき『刑務所帰りのヤクザ者のドキュメント』を撮影する→三上、近所のスーパーで、万引きと疑われたのをキッカケに、店長の松本と知り合う→津乃田と吉澤、三上を説得し『ヤクザの更生ドキュメント』の取材の了承を得る。しかしその帰り道、不良に絡まれている男性を助ける為に暴力を振るう三上の激しさに戸惑う津乃田→TVの件を松本に止められるが、喧嘩別れ。庄司も井口も、それぞれに忙しい。孤独を感じる三上→かつての妻・久美子を訪ねるが不在。別の男性との間に娘がいる模様→津乃田、三上の人格を生い立ちから考える為に色々と手を尽くす→三上、ヤクザ時代の義兄弟・下稲葉を訪ね、故郷でノンビリ過ごす→暴対法の影響で、ヤクザには生きづらい世の中。下稲葉組も大変そう。下稲葉の妻・マス子に諭され、送り出され、その場を去る→津乃田から電話。母の手掛かりを探す為、少年時代を過ごした養護施設を二人で訪ねる。しかし手掛かり無し→二人で温泉宿に泊まる。三上の背中を流しながら『ヤクザに戻らないでくれ』と訴える津乃田→帰京。井口の協力で、老人ホームの介護助手として働くコトに。庄司夫妻や津乃田や松本に囲まれ、お祝いの食事会。皆から『真っ直ぐ過ぎては生きづらい。見ないフリ、聞こえないフリをしながら生きていけ』のアドバイス。真っ当に生きていくコトを心に固く誓う→津乃田も、変わろうとする三上に触発され、三上の人生を本にしようとする→施設で働く中、軽度の知的障害を抱えながら自分と同様に働く青年が、他の職員にいじめられ、差別されているのを見かける。曲がったことが許せない性分を押し殺し、他の職員に合わせる→いじめられてた青年に、コスモスの花をもらって家路へ。その途中、久美子からの電話。久美子と娘と3人での『デート』の約束をする→嵐の近づく中、帰宅。洗濯物を取り込みながら、倒れる→数日後、コスモスを片手に孤独死している三上が発見される。駆けつける津乃田→遺体は警察へ。三上のアパートの前で立ち尽くす、津乃田、庄司夫妻、松本、井口。皆の頭上には、東京の青空が広がっている。青空に『すばらしき世界』のタイトルが浮かぶ。






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鑑賞直後は『すばらしき世界』ってタイトル、皮肉かな?と感じた。

幼い頃から最後の瞬間まで決して幸せには見えない人生。自分を変えてまで『生き直す』ことを選んだ直後の死…。

アパートの前で佇む友人達の頭上に広がる青い空、そこに浮かび上がる『すばらしき世界』の文字。

『すばらしき世界って、天国のこと?現世には存在しないの?』と思わされた。

でも、鑑賞から時間が経つと、印象も少し変わってきた。



先日観た『ヤクザと家族』に近いモチーフ。
でも、切り口は少し違う。
『ヤクザと家族』は文字通り『ヤクザの周りの人々』を描いていて、彼らの人権や生きづらさがテーマだった。

本作も、更生しようとしながらも、やはり生きづらさを抱えるヤクザ者を描いてはいるが、その周りで『寄り添おうとする人々』も描いていて、少しだけ『暖かさ』を感じる。



三上の人柄は、開始直後から中盤過ぎまでは『殺人を犯したコトへの反省のない、世の中で生きていくには不適合な人物』として描かれている。
映画の主人公として感情移入して見れば受け入れられるのだろうけど、現実にこの様な人物が身の回りに居たらどうか?正直、受け入れる自信は無い。
『世の中に受け入れられなくても仕方ない』と思えてしまう。せいぜい、津乃田の考えたように『少年期からの教育や環境の問題』について考えるくらい。

でも、そんな三上でも『カタギとして生きていきたい』という気持ちはある。
出所直後のバスの中での呟きや、マス子の前で漏らした一言など、ふとした時にその気持ちが伺える。
さらに、暴力的ではあるけど『真っ直ぐな人柄』が描かれる。
段々と感情移入し、世の中で上手く立ち回れない三上に対して『もどかしく、歯痒く』思えてしまい、観ていて辛くなってくる。

でも、『受け入れてくれる』『見守ってくれる』人達が居る。自分の信念を曲げても、その人達の為に『世間に合わせて』生きていくことにする。
そして、ようやくやり直し始めた矢先に、あのラスト…。
果たして、三上は最後に何を思ったのか…。少なくとも、私から見て『幸せな人生』とは思えなかった。

ただ、カタギでもヤクザ者でも、生きていれば良い事ばかりじゃないし、『自分に嘘をついてでも周りに合わせないと生きづらい』のも間違いない。そんな中でも、ほんの少しの嬉しい事や楽しい事があれば、それがより一層『幸せ』に感じられるし、生きていく喜びになる。

そう考えると、人生の最後において『支えてくれて寄り添ってくれる』人達に出会えて、三上の人生も『すばらしき世界』だったのかな…と、少しだけ思わせるラストだった。



映画の中で描かれている『三上の苦悩』は、決して彼の特異な境遇のみに当てはまるモノとも思えない。
『レールを外れた人』、『自分を変えて、生き直したい人』が『受け入れられない』世の中。その生きづらさは、誰もが経験しうるモノ。
その『寛容さを失ってしまった今の世の中』に対する問題提起こそが、この作品に込められたテーマなのかな?と感じた。

そしてもう一つ、『生きづらさを感じさせる側になっていないか?』も、考えるべき問題として提示されているようでもある。
津乃田に向かって吉澤が投げつける『撮らないなら何故止めに入らなかった?止めに入らないなら何故撮って皆に見せない?』は、観客である我々に直に投げつけられた言葉・問題でもある。傍観者≒加害者とも言える。




この作品、決して『心温まる物語』ではない。でも、決して『悲しいだけの物語』でもない。

なかなか、胸の内を整理するのが難しい、余韻を残す作品。



役所広司の演技が凄かった。

あと、北村有起哉。この前は『ヤクザの若頭』だったのに、今回は更生を目指すヤクザを支える『役場のケースワーカー』。この人も上手いなぁ、と思った。
土平木艮

土平木艮