湯っ子

第七の封印の湯っ子のレビュー・感想・評価

第七の封印(1956年製作の映画)
4.0
「神とは」「死とは」「悪魔とは」、常に作中人物が問いかけ、語る様子にその都度感じるところや思うところが浮かんでは消え、浮かんでは消えする。とてもまとめられそうにないので、私の中に残ったものだけを記します。

悪魔と通じたとされ、火炙りになる娘。自身も「悪魔はそばにいる、私は恐れてはいない」と語る。彼女の瞳に恐怖と絶望を見たと言う騎士、それは彼女の心を見たのか、それとも自分の心を彼女の瞳に映して見たのか。
私はこの娘がジャンヌ・ダルクに見えてしまった。

元神学者、今は盗賊でチンピラのクズ男。疫病に感染してのたうち周り助けを求める。死にかけてる割にめっちゃ元気。騒ぐだけ騒いでバターンと倒れるけど、ひと眠りしたらむっくり起きて動き出すんじゃないだろうか。

死はいつも隣にある。私たちのすることをずっと暗闇から見ていて、どこまでも追いかけてくる。旅芸人のヨフ一家が嵐の中を逃げて逃げて、たどり着いた海辺で光に照らされて微笑んでいる姿を見て、生きるということは逃げ続けるということなのかもしれないと思った。
死は崇高で重厚で貴族的であり、生は愚かしく地を這う小市民的なものとして描いていると感じる。それでもというか、だからこそというか、いずれにしても生は輝いている。

死神との出会いに涙を流し跪く端女にとっては、死が救いだったのかもしれない。ヨンスってあの中ではまあまあいい男っぽいし、なんかいい雰囲気で甘えたりしてたのに、あれは彼女の生きる術ではあるけど不本意だったということなのかな。

人間の生と死には、前にも後ろにも神などなく、ただ虚無が広がっているだけ。そう結論づけることの重さは、特定の宗教を持たない私には計り知れません。
湯っ子

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