れーちゃん

花束みたいな恋をしたのれーちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2人の姿のどこかに、まるで "いつかの自分" をみているような気分になる本作。

自分の恋愛や今置かれている状況と比較してしまい苦しくなる人続出なのでは?
私ですら自分の立場に置き換えていろんなことを考えてしまった。

2020年、あるカフェでイヤホンを片耳ずつはめ、音楽を聴いている若いカップルがいた。

その姿を見た麦(菅田将暉) はイヤホンを片方ずつで音楽を聴くことは出力されてる音がLとRでそれぞれ違うから、違う音楽を聴いているのだと連れの女性にいう。

同じカフェに居合わせた絹(有村架純) はそのカップルを見て、イヤホンで音楽を別々に聴くということはカツ丼のカツとその他を分けたらカツ丼ではなくなることと同じだと連れの男性にいう。

2人は「教えてあげよう」と同時に席を立つ。そして向かう途中で顔を合わせ、気まずくなり各々の席へ戻る。。この2人は同じことを考えていたのだった。それは過去にも。。。

映画は2015年に遡る。
麦はイラストレーター志望の学生。ボロアパートに住みながらなんとなく日々を過ごしていた。
ある時、終電を逃した駅でたまたま出会った女性絹と2人で朝まで過ごすことに。マニアックな小説家の話で意気投合し、同じ舞台を見に行こうとしていた事、麦が好きなガスタンクに絹は興味を持ったこと、たまたま被っていたスタンスミス、2人はあまりにも多い共通点から運命共同体のように惹かれ合い、互いに「相手はどう思ってるだろうか?」と探りながらも同じタイミングで告白を決め、付き合う。
そこから始まる円満で幸せな日々。見ているこっちまでも幸せな気持ちになるほどの生活が待っているが、それぞれの就活を機に関係性に変化が訪れていく。

初心を忘れず付き合った当初のままでいる絹と、先のことを考え今と向き合わなくなった麦。幸せとは一体なんなのだろうか?
2人は人生をどのように生きたいのだろうか?

結婚も、永遠も2人が同じ方向を目指して歩んでいかないと難しい。
居心地の良さ、一緒に過ごした歳月、それよりも今、相手とどう向き合うか?ということの方が何よりも大切で、それは一生続いていくことなのではないだろうか。

麦と絹だけにしかわからないこと、分かり合えないことが2人にはありすぎて、この先新しい相手が見つかっても、他の人と過ごしてもきっとお互いのことをいつだって思い返してしまうはず。2人が下した決断は本当に良かったのだろうか?

だからこそ当たり前は当たり前じゃない。全ての選択と瞬間を大切に生きていくべきだ。
そんなようなメッセージ性を感じた。
自分の人生に起きたこと、瞬間、思い出は決して消えないし、起こしてしまったこと、過ぎた時間は取り返しがつかないのだから。。

好きなことを諦めた麦の対比として、好きなことを追い続けた先輩は追求するがあまり、周りの人間を傷つけてしまったり、結果孤独に亡くなるのだから。

自分の人生において本当に大切なことって一体なんなのか?
しっかり考えて日々を過ごしてほしい。そんな願いが込められているような気がした。

麦と絹が別れ話をする時に、かつての自分達を見ているかのような初々しいカップルを目の当たりにし、互いにいろんな感情が湧き出るシーンは、これまで2人の馴れ初めから見てきた観客たちがまるで2人と同じことを考えているような気分になり苦しく悲しい気持ちになってしまったに違いない。

その瞬間を回想シーンを使わず、あえて別のカップルで表現するあのシーンはうまいなぁと思った。
れーちゃん

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