かなり悪いオヤジ

静かなる男のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

静かなる男(1952年製作の映画)
3.5
『捜索者』とともに、本作をジョン・フォードの代表作にオス人は多い。モニュメント・バレーの岩山は一切出てこないのだが、『捜索者』と本作の間にはある“共通点”を見出だすことができる。“描かない美学”とも言えばいいのだろうか。ここは絶対に説明が必要でしょうという場面でも、作品が生臭くなるような要素をバッサリカットして、観客の想像にまかせる演出を選択しているのである。

『捜索者』においては、ジョン・ウェイン演じるイーサンがなぜあれほどまでに(兄夫婦が殺される以前から)インディアンに強い偏見を抱いていたのかがよくわからない。イーサンと行動を共にするネイティブとのハーフ救出の経緯がバッサリカットされているのである。本作でいえば、ショーン(ジョン・ウェイン)の父親がアイルランドからオーストラリアへ流刑になり、そこで生涯を終えた理由が、解明されないまま終わるのである。

筆者が想像するに、前者についてはおそらく、白人のアメリカ入植により土地を略奪されたコマンチ族が復讐のため、白人の女子供の拉致を繰り返した(ハマスによるユダヤ人拉致事件と非常によく似ている)史実をベースに組み立てられた物語なのだろう。後者については、IRAの男どもがショーンの味方についたことから察するに、父親もまたIRAに属しており、アイルランド国内を牛耳っているイギリス帰属派との紛争&殺人の罪を負わされたのではないだろうか。

いずれにしても、白人の横暴な振舞いが原因にあることはおそらく間違いないのであって、その描写をスッポリ抜かしたことによって、観客がなんともいえないモヤモヤ感を引き摺るように演出されているのである。もし仮にその説明シーンを映画内にいれたとしたらどうだろう。映画は見るにたえないほどドロドロに濁りだし、派手な殴り合いの後対立する者同士がお互いを認め合うという、カラッとしたエンディングにはけっしてならなかったはずである。

巨匠は、観客に内省を促すようなきつい演出を、(多分興行のことやスポンサーの横槍を考慮した上で)あえてすっ飛ばしたのではないだろうか。気づける奴が気づけばいい、と。にしても、勝ち気な娘メアリー(モーリン・オハラ)をベッドに放り投げるは、尻はひっぱたくは、芝生の上を強引に引きずり回すはで、この元ボクサーのショーン、こと女に対してはマチズモ全開、全然“静か”ではないのである。父親の流刑死につながる政治的怨恨については“沈黙”を貫き通したのだが。