このレビューはネタバレを含みます
19世紀後半、イタリア・ロンバルディア州にあるベルガモに暮らす農民たちの姿が、季節の移り変わりと共に厳しくも暖かい眼差しで描き出されている。
三時間以上の大作で、邦題にもなっている木靴の樹がきっかけで起こる事件以外に特に大きな物語の動きはないものの、そこに生きる人々の姿があまりにもリアリティーに溢れており、心に響くシーンや画として脳裏に焼き付くシーンの多い良作だった。
とにかく農民たちの生活は貧しい。彼らが住んでいる土地は、住居も家畜も、小川に生えている樹でさえも全て地主の所有物であり、農産物の収穫の3分の2を地主に納めなければならなかった。
彼らがあばら家に住み、夜になるとひとつ屋根の下で団欒をする倹しい生活をしているのに対して、地主の家ではピアノなどの楽器を演奏しながら優雅な生活を送っている。
子供たちもすぐに立派な労働力となるので、おそらく農民たちのほとんどが学校教育を受けていないのだろう。
別に水の中に顕微鏡で覗かなければ見ることの出来ない微生物がいることを知らなくても、農民の実生活に困ることはないだろう。
しかし教養を身につけることは、人格を形成する上でとても大切なことでもある。
常に大声を上げて喧嘩をしている父子の姿や、拾った金貨を馬の蹄の中に隠したら、そのまま失くしてしまい、その腹いせに馬に暴行を与える主人の姿など、見ていて愚かしい人間の姿も痛烈に描かれていた。
マッダレーナという美しい娘に一人の男が恋をするのだが、そのアプローチがあまりにも下手くそすぎるのもおかしかった。
バティスティ家の長男ミネクは神父の薦めがあり、幸運にも学校へ通うことが出来る。
しかし父母は心の中では本当はミネクを労働力として使いたいと思っている。
母はもうじき出産を控えているが、貧しさのためか医者の助けを借りずに子供を生む決意をしている。
女手ひとつで大勢の子供と父を洗濯の仕事をしながら養っている未亡人の暮らしも厳しいものだ。
神父は好意で妹たちを引き取ると言ってくれるが、長男は妹たちも直に働き手として必要になるから預けない方がいいと母に告げる。
ある日一家で飼っていた牛が動けなくなってしまう。獣医の診察ではもう助かる見込みはなく、この場で殺すべきだと彼は未亡人に告げる。
今殺せば金になるが、病死では一文の金も入らない。
しかし牛がいなくては一家の生活は成り立たなくなるため、彼女は必死で神に祈り続ける。
何か問題が起きれば、明日を生きられるかどうか分からないギリギリの生活をしている農民たちには祈ることしか出来ない。
祈りが通じたのか牛は回復し、一家は何とか生きていくことが出来るようになる。
とても貧しく厳しい彼らの生活だが、喜びが全くないわけではない。
夜になれば話上手なバティスティが皆の前で怪談を披露し、時期が来れば祭りが行われる。
未亡人の父が誰よりも早くトマトを収穫しようと試行錯誤し、孫と一緒にトマトを育てる姿は微笑ましかった。
豚を解体する描写がとても生々しく、命をいただくということがどういうことなのかを改めて考えさせられるシーンだった。
マッダレーナと彼女に恋をしていた男が結ばれて結婚式を上げるシーンも印象的だった。
彼らを乗せた船はゆっくりと川を下り、教会からは昼を告げる鐘の音が聞こえる。
ほのぼのとして場面だが、遠くではデモを鎮圧するための火の手が上がっており、どこか不穏な空気を感じさせる場面でもあった。
これからイタリアだけでなく世界を巻き込む大きな二つの大戦が起こることになるのだ。
そして問題となる木靴の樹事件。ある日下校するミネクの靴が壊れてしまう。
紐で縛って歩こうとするもどうにも上手くいかず、ミネクは片方の足を裸足で家に帰ってくる。
その姿を不憫に思ったバティスティは、まだ夜の明けきらないうちに小川のほとりに生えている木を切り倒し、ミネクのために靴を作ってやる。
自然に倒れたかのように木に細工を施したバティスティだが、地主にはあっさりと誰かが切り倒したのだとばれてしまう。
そしてバティスティ一家は木を勝手に切り倒した罪で追放されてしまう。
たったそれだけのことで一家を路頭に迷わせようとする地主の無慈悲さに驚愕させられるが、民主主義をしきりに訴える革命家の姿が描かれるように、この時代は持てる者が持たざる者を搾取することが当たり前のように罷り通っていたのだろう。
無一文になり集落を去っていくバティスティ一家。残された者たちは、やはり一家の無事をただ祈ることしか出来ない。
先行きのとても暗い旅立ちだが、不思議と彼らを映し出すカメラの向こう側の視線は暖かいように感じた。
監督のエルマンノ・オルミは実際の農民ばかりをキャスティングし、自然光のみでこの作品の撮影も自ら行ったという。
彼らの生活が地に足のついたものであるように見えたのは当然かもしれないが、それでも素人の役者を使ってこれだけ説得力のある作品を作り出したのは凄いとしか言いようがなかった。