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ロード・インフェルノのnemumeのネタバレレビュー・内容・結末

ロード・インフェルノ(2019年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

 激情に駆られてあおり運転をしたら、相手が異常に執念深い男だったというスリラー。すでに自立した子ども(=大人)の責任は誰が取るべきなのか。父親のハンスは、感情的で素直に謝れない。手が出るのも早い。母親のディアナは物語の序盤でも終盤でも遅刻しており時間にルーズだ。そんな両親に育てられた姉妹のミルーとロビン。彼女たちもまた、時間を決めて遊ぶ約束のゲームをだらだらと続け、シートベルトをせず、歩いているときは赤信号を無視してしまう。両親の姿から知らずのうちに影響を受けている姉妹。

 一方で、あおられた側の男エドは、いわゆる「正義マン」といわれるような存在だ。じぶんの中に確固たる独善的な正義が存在し、そこに外れる者を徹底的に攻撃していく。冒頭でも、自転車に乗った男性を執拗に追い回し、彼の口に散布機のノズルを突っ込んで噴射させている。彼の思う然るべきタイミングで謝罪がなされない限り、相手を殺害することで落とし前をつけさせようとする。法定速度を厳守してのろのろ運転していた(これがハンスの怒りを買った)ところからすると、柔軟性に欠け、決められたルールには徹底的に追従するこだわりがあるのかもしれない。しかし、ひとたびカーチェイスになると(おそらく)交通ルールを無視し、果ては殺害目的であるところから、社会的ルールよりもマイルールの優先順位が高くなってしまう。ハンス夫妻もまた人の子であるがゆえ、「責任」を取らせようとするエドは、彼の両親のもとにまで押しかけていく。姉妹には危害を加えないことから、子どもの責任は親が取るべきと考えているようだ。エドは審判者の立場に立っているが、彼の「責任」は一体だれが取るのだろうか……。

 終盤、散布機と幼少期のシャワーの映像が交錯する場面がある。四つん這いになって移動する姿は赤子のハイハイのように見えるし、心配そうに周囲の人が上からのぞき込む姿は、子が生まれたその瞬間のようだ。それは、ハンスが正真正銘の子どもだったころの記憶と結びつくのかもしれない。

 チェイスに一定の緊迫感はあったし、善悪の境界線が曖昧なものとして提示されていたことも良かった。夫妻の問題のある言動も描かれていることで、ある程度エドの肩を持つ鑑賞者もいるだろう。「善良」な夫妻が被害者であれば、日本版キャッチコピーにあるように「イカれたサイコパス」に目を付けられた不幸話になる。しかし、ハンス夫妻も人の神経を逆なでする部分があるので、彼らが被害者になれば「スカッとする」気持ちが生まれてしまう。だとすれば、エドは本当に「イカれたサイコパス」なのだろうか。エドと地続きの心情を持つ人も、少なくないのではないか。

 登場人物それぞれが現在の価値観に至った背景がもう少し欲しかった。ハンスは親からどういった影響を受けていたのか、彼の父親を認知症として描いたのはなぜなのか、エドはどういった生育環境で独善的なこだわりを強めたのか……。
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