魯肉飯

鬼火の魯肉飯のネタバレレビュー・内容・結末

鬼火(1963年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

一度巣食ってしまったものは、深く重く根を張り身動きをとれなくさせる。戦争で心に傷を負い酒に溺れ麻痺していた頭は、コップが空になることで鋭敏になり暗い方へと向かっていく。明確な計画が心に安寧をもたらす。
幻想を追い求めるがゆえに、ものに触れても何も感じなくなる。外の世界にあふれている、近くでこちらを見守っている優しさや美しさは、本質的なところでは自分に向かっていない。空虚のかたまりがからだを支配し、何かに縋りそれを手に入れたとしても、その器は満たされることはない。自身が愛するように相手も同じく愛してはくれない。相手を縛っても寂しさが募るだけ。欲求を解放しても心を解放しなければ、やがて愛も届かないところまで沈んでゆく。
外からの光には鈍感になり、内の闇には敏感になる。忙しなく揺れ動く思考が人生を緩慢にみせる。命には休息が必要だ。完全に治すのではなく、緩く解いていく。退屈に呑み込まれないように。
ジャックリゴーの生涯からの着想。戦争を契機としたダダの衝動、理性と既成概念を否定し破壊することで、風穴を開ける無意味な表現。そこに身命を賭し突き詰めていくことでダダイストたちは死に近づいていったのだろうか。
魯肉飯

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