鬼火の作品情報・感想・評価

「鬼火」に投稿された感想・評価

oka

okaの感想・評価

4.0
「僕は手で物に触れられないのだ。それに物に触っても、僕は何も感じない」ひどく悲哀に満ちた話だが、人生に絶望している人に最大限に寄り添った作品とも言える。生きる理由を見つけるのは難しいが、客観的に見れば、ただ生きるだけでも十分に意味がある事がわかる。現実の空虚と孤独を、独特な空気感で描く実存的な作品。
理解されたいクセに、理解しようとしない厨二の映画。身につまされる。
終盤の主人公が感情を吐露するシーンのジャンプカットがエモい。
大人になりきれず、幻想を抱き続けてる。て中二病か。て
ただ空気感とか周りの視線とか全部全部突き刺ささるような感覚なんでしょうね。
「アラン、苦しそうよ」
「アラン、人生はいいものだぞ」
「アラン、来るのを待ってたぞ」
「アラン、明日も来いよ」
「アラン、寝てた?」
こんな映画を見たら俺はますますナルシストになってしまう。
え君

え君の感想・評価

5.0
音楽も映像も役者の表情も、全ての演出が自殺する男の孤独や喪失を表すためにある。観る人が観れば自殺したくなること必至の作品。

「人生は緩慢で退屈だ。」
「平凡になるのが嫌だ。」

かつて青春時代を共に過ごした友人の元を訪れ、彼はそう言った。しかし、友人は父親になり家族を持ち、今も夢を追いかけ子どものままでいようとする彼に大人になれと叱咤する。
ここで主人公は深く失望する。友人にさえ理解されない。
(自分が諦めたのに未だに夢を追いかけている主人公に嫉妬しているのではないか、とも思うが)

有名なカフェのテラスのシーン。
行き交う人々を撮すだけのショットだが、主人公の心情を捉えている。観る人が観れば、と言ったが、自分を含めてそういう人はここで完全に主人公とリンクしてしまうだろう。

そしてカットがどんどん短くなる。
自問自答する彼を見て、来るその瞬間まで息が苦しい。
Keny

Kenyの感想・評価

4.3
無名戦士の墓の上で寝ることは滑稽ではない。

自分が生きる答えが見つからない。安定?退廃?停滞した人生だ。でもそれは、「確信から逃れている」だけなのかもしれない。
"太陽が目に悪いから影の味方をする"
ならば青春は日傘か、サングラスか。激しさに満ちた生活を欲することは、鬼火を掴むようなこと。どこかで決別しなくてはならないのか、果たして。

兎に角、与える愛に等しい愛を得られない苦しみなのである。虚偽の世界。
大きめの溜息がこぼれる。エリックサティめ。
3~4年前に観たことのある映画だが、本日のジャンヌ・モロー訃報を知って、ジャンヌ・モロー追悼でまた観たのだが、やっぱり鬱病映画は暗くなる。(二度観る映画ではなかった。)

ルイ・マル監督作品で、1977年キネ旬第3位だが、どうもこうした鬱病患者が死を考えるような映画は暗くて、面白くない。


アラン(モーリス・ロネ)と愛人(ベルナール・ノエル)の不倫関係から始まって、アランにはドロシーという妻がいるが離婚寸前…という感じで物語は進む。
ただ、この映画のモノクロ映像での『パリの街中を走るロードバイク軍団』は「さすがツール・ド・フランスの国」という気がするシーンだった。

この映画でジャンヌ・モローは、麻薬で安らぎを得る芸術家という役であった。
ジャンヌ・モロー追悼であれば、やはり『死刑台のエレベーター』を観るべきであったが、テレビ(字幕スーパー版)を録画したDVDを探すのが大変なので、この『鬼火』にしたのだが、失敗であった。
それでも、ジャンヌ・モロー安らかに。
合掌
たたみ

たたみの感想・評価

3.0
唯、ぼんやりとした不安に押しつぶされた男の行状。エリック・サティの劇伴がやすらぎと不安感をジワジワと盛り立てる。
2018年4月18日

何回目の再見ですが、見出しから忘れていました・・・
やはりモノクロの撮影うまい・・
忘れていた自分を見いだす・・

ルイ・マル作品
見直してみよう。
アル中が治ったものの療養施設から出ようとしない男アランが主人公です。彼にはもう一つ精神の病がありました。鬱病は現代の日本でも問題になっており、50年前に制作された作品ではあるもののテーマ性は現在鑑賞してもタイムリーかと思います。
ネタバレになりますが、自殺を決意してから実行するまでのネガティブパワーはルイ・マル監督の本領発揮ではないでしょうか!?
男が憐れな末路を辿るまでの経過が非常に怖いです。死への憧憬さえも感じさせられます。このような作品を既に制作できるところに欧州諸国が日本より当時はずっと先進的だったのだと感じてしまいました。
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