Kuuta

バビロンのKuutaのレビュー・感想・評価

バビロン(2021年製作の映画)
3.1
今まで好意的に見てきたのだけど、チャゼルの悪いところが出ていると思った。この映画が必要な人もいるのかもしれないが、私には関係のない内容でした。

映画の裏に流れる混沌、感情、技術、歴史。群盲象を評すと言うが、自分より巨大な何かに飲み込まれる快感、要は「雨に唄えば」を見て泣く心境に3時間をかけている。しかし、こんな回りくどい映画を見る前に、普通に「雨に唄えば」を見たらいいのではないだろうか。クライマックスで泣いている男は確かに俺なんだけど、「映画見てるとこんな気持ちになるよね」を再現されても困る。

上記したような感情の混乱を描く映画は、今まで何度も作られてきた。過去のイメージの縮小再生産を繰り返すこの作品で、映画を見る喜びを擬似体験させようとする意図が、私にはよく理解できなかった。

前作「Stunt Double」にはチャゼルらしさが詰まっていた。スタントマンの映画にも関わらず、現代パートは過去作オマージュへの土台に過ぎず、目の前のスタントを作り込む意欲は感じられない。現代パートは「男女のすれ違いシーン」にのみ力を注いでいる。キートンを始めとする露骨なオマージュは大喜利のようだ。9分の短編だし、小ネタ連発で興味を持続させる手法自体は悪くはないが。

しかし、このノリで3時間やられると空虚さが目立ってくる。技巧的なショットばかりでドラマは上滑りし、キャラクターの掘り下げも進まない。

原因は、キャラの印象が登場時からほとんど動かないことにある。鼻持ちならない金持ちは、カメラに映った瞬間から嫌な顔をしている。チャゼルの「特定のジャンル、文化に対する蔑視」はララランドの頃から指摘されているが、キャラをキャラとして固定的に描く事が、ドラマの奥行きを大きく減じている。「映画は大衆娯楽だ、欲望だ」と言われても、私には二枚舌にしか聞こえない。

20年代映画の魅力も伝わってこない。監督はドイツ人という設定だったので、彼はムルナウであり、フリッツラングであり、シュトロハイムなのかもしれない。彼らの映画がこんなに雑に扱われること自体、ちょっとしんどい。映画史を踏まえた溜めが効いていないから、思いを爆発させるラストも唐突に感じられる(作品選びのお行儀の良さにも疑問)。

雨に唄えばを思い出してほしい。あの映画は序盤でスラップスティックコメディを復活させ、クライマックスで白黒のダンスシーンを撮っている。カラー化という時代の変化に応え、白黒の衣装とカラフルな美術を共演させる終盤の展開には、狂人としてハリボテの残骸を回収しつつ、ハリウッドの歴史の中に自らを位置づける意識があったと、私は考えている。ララランドには、こうした「雨に唄えば」の姿勢が多少なりとも入っていた。

対する今作は、歴史のうねりを物悲しく見つめる傍観者の映画であり、ララランドから後退しているように思う。主人公は最後までネリー(マーゴット・ロビー)とすれ違い、観客という立ち位置に留まる。パーティーにおいても、彼はバビロンの当事者にはなり得ず、表層的な「下品さ」の間をすり抜けていく。狂気と気品を携えて踊るジーンケリーとは、雲泥の差だ。

ポストモダンと呼べば聞こえはいいのかもしれない。しかし「歴史なき観客の追体験」なんて、映画好きの自己満足か、単なる撤退戦にしか思えない。Metoo的告発や同性愛の描写、サイレントの名優が声がダメだから落ちぶれたという「神話」を相対化する試みも、「マンク」のフィンチャーならもっと上手くやっていたはずだ。

流れる涙、雨を強調し、黒塗りの要素を入れたにも関わらず「ジャズ・シンガー」の黒塗りパフォーマンスには触れない(有名なYou ain't heard nothing yetは声だけ聞こえる)。パーティー描写の軽さも含め、ハリウッドの歴史を受け継ごうとする割に、こういうところを小綺麗にまとめるから文句言いたくなるんだよ、と思った。
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