りっく

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のりっくのレビュー・感想・評価

4.2
https://www.shimacinema.com/2021/06/20/mishimatodai/

人間は自分と考えや生き方が異なる相手がいると、他人の意見に耳を傾けることもなく、頭ごなしに人格をも否定し、ファイティングポーズを取ることもある。特に政治的な主義や思想の場合は、保守と革新、右派と左派といったような二項対立の図式にはめがちだ。さらに現代は匿名性の高いSNS等で、その傾向はより拍車がかかっているように思う。

だが、三島由紀夫と東大全共闘の討論会はどうか。本作は両者の間に「VS」と付いてはいるものの、それは相手と真っ向から対立することでない。あやふやで猥雑な日本国を共通敵とし、日本や世界と対峙し変えていこうとする熱情のある者同士の敬意と、知の活用の場となる。中立地帯としての900番教室は、まるでスポーツマンシップに則るような清々しささえ溢れている。

1000人相手の超アウエーの中に単身乗り込み、ユーモアと丁寧な語り口を以て、言葉の有効性を試そうとした三島由紀夫。相手の論理矛盾を指摘することなく、とにかく青年たちの言葉に耳を傾け、この部分は認めて、この部分はあなたたちと異なると真摯な言葉で返していくその姿勢は、全共闘のひとりが思わず先生と呼んでしまうのも納得だ。

一方で全共闘側で三島と言葉を投げ交わす芥正彦という人物のキャラクターも抜群。赤ん坊を抱いて壇上に立ち、物腰柔らかそうに見えてその言葉は常に鋭く、熱を帯びている。そしてそれは、50年経った現在でも変わらないという、その迫力と存在感に圧倒される。観念をこねくり回してるだけじゃないのかという外野の声を聞く価値がないと跳ね除けつつ、考え方の違いはあるものの、徐々に三島を受け入れ、敬意を払う存在へと変容していく様は、ドキュメンタリーとしての魅力に満ちている。

両者が交わす議題の数々は、知恵熱が出るほどに面白い。時間と空間の概念、名前と関係性、反知性主義、非合法の決闘としての暴力の発動、他者の存在とエロティシズム、自然と人間、認識と行動、そして天皇とは。既成概念を破壊する者同士が交わした言葉の数々は、言霊となって50年後の現在の我々の胸にも響き渡る。媒体として言葉が力があった最後の時代、その言葉の力に圧倒され続ける。
りっく

りっく