れでぃ夫

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のれでぃ夫のネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

お勉強でなんとなく何があったか知っとるけれど、その実何かあったか全く知らない時代の話

あまりに劇的で何があったか気になっていたのに調べなかった、知に、日本に、人間に不誠実だった自分をなじられているような気分にさせられますな

昨今の右翼だ左翼だの幼稚な鍔迫り合いに嫌気が差していた幼稚なぼくは、
イデオロギー闘争というものに良い想いを抱いておらず
学生運動などの時代に対し、呆れにも似た感情を惹起させられていたのは否定しないところ

だけど、この映画を観て、そんな浅はかなことしか考えられない自分がイヤになりますよホント

左翼の全共闘と右翼の三島由紀夫の討論会を中心に、その時代にどういう空気が蔓延していたのか
そして、その時代を生きた人は何を考えていたのかを示したドキュメンタリー

まずなにより、頭の凝り固まった両極の言い合いかと思いきや、
かなり理性的な応酬が続く
三島由紀夫は相手のことを否定せず、かなり穏やかにユーモアを交えながら持論を展開する

その姿勢に、三島をぶっ叩いてやろうと集まっていた全共闘の学生1000人が真剣に耳を傾け、「敵なので先生と呼ぶべきではない」のにも関わらず、思わず「三島先生」と呼んでしまい慌てる姿を見せる
三島はそれに対して、破顔としか表現できない表情を見せたのが印象的だった

議論は時に観念的になったり、白熱したりしながらも、融和的な雰囲気で進む

そして、驚くべきところにいきついたんですよねこれが

三島も全共闘も目指してるところがそう大きく離れてないんですよ
そして、そのために取ろうとしている手段まで似ている
大枠での考え方は異なっているけど、向いてる方向は同じ
それに双方も気付いてるんですよね
結局、共闘は出来ないけれど、なんだか近しいものを感じて討論は終わるんですよ

これはね、ぼくはスゴいと思った
昨今のネット上での左右の口論を見ていると
両サイドが全否定をしあっている
右派が言うことは全部頭おかしいし、左派が言うことは全部頭おかしい
そうやって喧嘩している

人の考えなんて2つに分け分けすることなんざ到底無理なはずなのに。
どうして、それは頭おかしいけど、君良いことも言うじゃないか
という建設的な議論、認めあいができないのかと、それが政治論争へと人を遠ざけることにもつながってると思ってしまうのです。

だけど、この討論の場にはそれがない。

マッチョなだけの存在としてしか見れていなかった三島由紀夫が
かなり理路整然と、古典を引用しながら、知的に話している姿に感動し、自分の偏見というものに鉄槌を下すのでありましたとさ

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とまあ、こっからは蛇足なんですが、
観て感じたことはメモ的に全て書いておこうと思いますゆえ、書きなぐりますが

社会現象を起こしている時点で全共闘の勝ちだよなぁとは思います
敗北と表現されていたけれど、恐らく学生運動以降、時代の空気は変わり、人々の考え方は大きく変わった
現代でも、冗談のようにやれ「エヴァンゲリオンが社会現象になりました」とか、やれ「涼宮ハルヒが社会現象になりました」と安売りされとりますが、
そういったものを小さく重ねていって、大きく人の考え方は変わっていっていると感じるのです。

あとね、僕も含めてなんですが、最近の人は学生運動に対する考え方がえらく否定的です
あー、ジーさんたちがやってた法を犯して暴れてだけしか意見を通せなかったわがまま野郎のやってたことでしょ?くらいに思っている
だけど、これは一度立ち止まって考えなきゃいけない
民度の低いジジイの運動と思ってしまいますが、映像で見ればヒシヒシと伝わりますけれど、立場の弱かった若者たちのメッセージなんですよね
昨年、チリで学生たちが地下鉄の値上げに決起したのをきっかけとした暴動が報道されていました。
これに対して、「頑張れ学生たち」と思った人は少なくないでしょう
政府や大企業の横暴に対し、学生の不満が爆発したのです。
それとどこに違いがありますか
確かに、学生運動の裏には大人のイデオロギーによる誘導があったかもしれない
それはぼくはよく知りません。
でも、学生たちが不満に思っていたことは事実でしょう
そこを汲み取らなきゃいけないのだなぁと思うのです

人生を生きる上で、三島の身の上から思想も、全共闘の身の上から思想まで、全て想像して生きていくことが社会を融和的にしていくために必要なのだと、三島の姿勢を見て思いました。
れでぃ夫

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