ヨーク

耳をすませばのヨークのレビュー・感想・評価

耳をすませば(2022年製作の映画)
2.8
なんというかまぁ一言で言えば「キツイな…」という感想になってしまうのだが、これは『耳をすませば』という作品に対してどういうスタンスの人間なのかということで結構印象の変わる映画ではないだろうかと思いますね。ちなみに俺としては柊あおいによる原作の漫画版は未読、近藤喜文監督によるスタジオ・ジブリのアニメ映画版は公開当時に観たしその後も度々金曜ロードショーでやってるのをチラ見するていどのことはあったが別にそんなに好きってわけでもない、という感じですかね。まぁ多くの人がそうではあるとは思うのだが『耳をすませば』という作品に対してはざっくりとジブリ版のアニメ映画のやつっていう印象を持っているわけだ。
で、本作はタイトルもそのまんま『耳をすませば』で副題のようなものも付いていない。予告編では”あれから10年後の二人の新しい物語”とか言ってるから続編ものなんだろうなぁというのは何となく分かるがそれが原作漫画の最終回から10年後なのかジブリ版のラストから10年後なのかは分かんないんですよね。そもそも俺はジブリ版が原作の最後まで映像化したのかどうかも分かっていないのでそこは俺が知らないだけでもあるんだが…。
何かもうその辺からして大分フワフワとした企画なんじゃないかなぁと思ってしまう。その辺がなんか軸足定まっていない感じでどうなのよと思ってしまう部分ではありましたね。具体例を挙げればジブリ版ではヴァイオリン奏者を目指していた天沢聖司がチェリスト(多分原作準拠なんだろう)になっていたりするので、これはジブリ版ではなく原作漫画を強く尊重しているのか? と思いきや雫と聖司の過去回想のシーンはほとんど全てがコンテも構図も演出も登場人物の衣装さえジブリ版のアニメ映画と酷似したものになってるんですよ。一応エンドロールに協力:スタジオジブリというクレジットはあったので権利関係なんかはクリアにしてるんだろうけど、それはちょっと志が低くないか? と思っちゃうよね。あとびっくり仰天したのは、本作は10代の頃に将来を誓った二人が大人になってどうなった、というお話なので回想シーンもそれなりにはあるとは思っていたが、凄いっすよこれ。ランタイムの半分近くは中学時代の回想シーンだったんじゃないかな。そんなにガッツリやんのかよ!? って思うよね。しかもその回想シーンはほぼジブリ版の焼き直しという。これは中々魂消える。
でもガキの頃の思い出に縋る大人が一皮むけるお話なんだから回想シーンが多くなることには目を瞑ろう。それはまぁプロット上仕方ないと言えよう。でも俺が一番がっかりしたのは25歳になった雫と聖司の現代パート(ちなみにこれも原作準拠なのだろうが現代パートといっても1998年である)で繰り広げられるドラマが過去編(繰り返すが俺はジブリ版の『耳すま』しか知らない)とやってること同じなんだよ。これはガッカリにもほどがあるよ。児童書とか作ってる出版社に就職した雫が専業作家と二足の草鞋で「このまま作家の夢をあきらめて編集者となるか、それとも描き続けるか」で悩んだ末に聖司に勇気づけられてまた描き始めるっていう流れなんだが、それってそのまんま10代の頃に自分は何をしたいのだろうかで悩んで聖司に触発されて云々のジブリ版のアニメと全く一緒じゃないか! いやそれはどうなのよって思うよ。
これは割りと深刻な問題だと思うけど、要は大人の女性、もっと言えば大人の人間を描けていないんですよ。雫は出版社で編集者として働いてるけど周りの意見に流されているだけで主体性がなく、まるで生活指導の先生みたいな上司に叱られて謝ってるだけで、自分の考えでこうしようという行動は起こさない。映画の後半で担当を外された作家に正面から向き合おうとするんだけどそれも聖司から言われたことをそのまんまやってるだけなんだよ。なんかお話の都合で上手いこといっちゃうけど。雫は徹底して大人の自立した女性として描かれることはなくて周囲の人間からお膳立てされて下げてもらったハードルをひょいひょいと跨いでいくだけのことしかしない。百歩譲って中学生が主人公ならそれでもいいかもしれないけど大人を描く映画としてはどうなのよと思いますよ、それは。その程度の人間の描き方では日本とイタリアでそれぞれの目標を持って自立して生きている男女の恋愛モノなんて描けるわけないだろって思うし、実際描けていないと思いますね。ていうか多分自立した社会人を描こうっていう意志がないもん、この映画。だから結局やってることは中学時代を描いたジブリ版の焼き直しで同じことしかできないんですよ。とりあえず『耳をすませば』というタイトルさえ使っていればある程度の客は来るだろうという志の低さが透けて見えるよ。
まぁそもそも志の低さとしては予告編で「10年やってきて何者でもなくて、どうしようって相談したい相手は遠くにいて会いたいときに会えない、分かってるけど分からないんだよ、自分がどうすればいいか」っていう超スーパーウルトラ説明セリフを聞かされた時点でこの映画ダメなんだろうなぁ…とは思っていたが!
という具合にボロクソに文句を言っていますが、でもね、これは実は死ぬほど型落ちしている純愛映画としては割りと懐かしさを感じるところはあって、女性の自立とか夢と現実の両立とかそういうのを全部放り投げてしまえば半世紀以上前のアイドル女優が出ていたような、なんか知らんけど周りの人たちのおかげで上手く行ったわ的なご都合主義なラブコメとして楽しめる部分はあるんですよ。そういう懐古的かつ保守的な純愛ラブコメとしては所々の演出はひでぇなと思いながらも楽しめるかもしれない。それこそ王子様とか妖精とか小人におんぶにだっこでお姫さまは何もしないままでいつの間にかハッピーエンドになっているようなお伽話が好きな人には刺さる映画だとも言えるだろう。そういう意味では夢のある映画だとも言える部分はあって、俺的には決して好きではないがそういう楽しみ方ができる作品であるとは思いますよ。
でもなぁ、個人的には今更大人になった雫と聖司を描くんならそういう方向性じゃなくてもっと生々しい感じを観たかったですよ。例えばあの天沢聖司がセックスした後にどんなクサいピロートークをするんだろうとか、そういうのをめっちゃ楽しみにしていたのに全然そういう方向ではなかったですね! 25歳で超遠距離恋愛の二人が再会したらセックスくらいするだろう! まぁセックスキャンセルの理由が失笑するしかない展開だったが!
あと地球屋のジジイが松本零士にそっくりでした。そこ一番笑ったな。ちなみに子役たちは全員良かったと思います。特に中学生の天沢聖司のヤな奴感は素晴らしかった。個人的にはまあまあキツイ原作モノの映画って感じでしたね。まあまあキツイです。
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