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エルのnetfilmsのレビュー・感想・評価

エル(1952年製作の映画)
4.3
 キリスト教会での足洗いの儀式で、あろうことかフランシスコ(アルトゥーロ・デ・コルドバ)という名のブルジョアジーの男は若く美しいグロリア(デリア・ガルセス)の美しい脚に見惚れてしまう。神の御名において、邪悪な心持ちなど抱えてはならぬのだが、どういうわけか男は女の脚の美しい造形に見惚れてしまい、その奇妙なオブセッションが頭から離れない。教会の入口で声を掛けようと意を決して男は歩き出すが、すんでの所で邪魔が入り、男の視線が逃れるようにグロリアはそそくさと立ち去った。そこから先はストーカーすれすれの危うい場面の連続だ。教会に足繁く通いグロリアの到着を待ったかと思えば、女が仕事で雇用関係を結ぶラウル(ルイス・ベリスタイン)の彼女だと知ったフランシスコは偶然を装いながら彼女との心底気色の悪い再会を果たすのだ。いかにも火曜サスペンス劇場のようなこのドロドロとした愛憎劇は再会の瞬間から数年後へと飛ぶのだが、そこで新妻のグロリアの口から元カレに語られるのは、夫フランシスコの常軌を逸したような狂気的な精神世界だった。

 ブニュエルの映画ではしばしば愛情過多で奇妙な妄執に囚われたブルジョワジーおじさんが登場するが今作も例外ではない。嫉妬心の強いブルジョワジーの偏屈な性格は妻グロリアを家の中に閉じ込め、籠の中の鳥のように扱おうとする。どこかへ行くとなれば逐一報告し、誰かと会うとなれば自分が立ち会わなければ気が済まない。そんなことをして女性を物理的に縛ろうとすればするほど、女の心は静かに逃げようとするものだがフランシスコはお構いなしにのべつ幕なしに怒りをぶつける。結婚するまではこんな人物じゃなかったと思うが時既に遅しなのである。グロリアもまた最愛の彼氏を捨ててまで、どうしてフランシスコに傅くのかと言えば彼が街の名士で、ブルジョワジーの家庭だからに過ぎないのだ。対して元カレのラウルはフランシスコに雇われた貧乏な家柄に過ぎない。だが夫への疑念をこじらせたグロリアの母親や神父までもがフランシスコ側に傅くのは思わずギョッとさせられる。その後のエアガンの唖然とするような1ショットには毎回観る度に心底とち狂っていると思う。財産差し押さえの訴訟を抱えた男の不安定さが招いた奇妙なオブセッションはその時点でもう精神の均衡を完全に見失ってしまっている。

 商業的には大失敗し、批評でも酷評された今作は然しながら近年はブニュエルの早過ぎた傑作と言う見方に上方修正されている。それはあの精神分析医ジャック・ラカンがパラノイアの重大な一例として今作を大学の授業で取り上げたことも大きい。心底とち狂った妄執に縛られた男の発狂の瞬間の残酷な引き伸ばし。それを俯瞰で眺めるルイス・ブニュエルの冷静と狂気の境目を揺蕩う様な狂った眼差し。メキシコ時代のブニュエルでとりあえずどれを観たら良いか聞かれたら、私は真っ先にこれで次点は『スサーナ』辺りを選びたい。
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