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アウステルリッツのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

アウステルリッツ(2016年製作の映画)
5.0
[21世紀の"夜と霧"は無関心と改鼠の中に埋没するのか]

W.G.ゼーバルトの同名小説から題名を頂いたというロズニツァ通算20作目。小説の題名は内容及び歴史的背景を思い起こさせる象徴的な使われ方をしており、単純な映画化ではないものの深い関わりを感じさせる。戦後10年という年に、未だ癒えぬ傷を抱えたまま製作された『夜と霧』を21世紀にアップデートした本作品は、同作でのアラン・レネの"今では観光客がここ(火葬場)の前で記念撮影をする"という印象的な嘆きを永遠に引き伸ばした地獄譚のような外見をしている。レネの同作とは異なり、色もナレーションもない本作品は、極端な長回しを使ってザクセンハウゼン収容所を訪れる観光客を無言で眺める、所謂"観察映画"である。

忙しなく行き交う人々はガイドの声や音声ガイドに耳を傾け、撮影スポットと音声ガイド付き展示物以外の場所で足を止めることもせず、収容所の建物の中で水を飲んで、それにも飽きたらペットボトルを頭に置いて遊ぶ人まで登場する。"働けば自由になる"と書かれた正門の前で記念撮影をし、そのために列ができる。処刑場では柱の前で処刑される人のポーズを取る人までいるし、写真を撮ることで記憶を外部委託するなんてこともなく、ただ単に写真を撮るために写真を撮っているような人々ばかりだ。その写真を見返す日など来ないだろうに。観光客の中には"どうでもいい"や"今日はあなたのラッキーデイ!"と書かれたシャツを着ている人もいる。そして、帰る時は誰も収容所を振り返らず、一仕事終えたかのように仲間内で話しながら帰っていく。そんな彼らはグループごとに活動し、居住区や処刑場や庭などを順路に従って進んでいく。ガイドに率いられて動いたり止まったり。あまりにも苛烈な皮肉だ。

しかし同時に、収容所に来ることそのものが歴史を後世に残すことについて多少の興味はあることも示している。子供の教育のためであれ、ツアーの一環であれ、本や映像からだけでは得られない空気感を訪れることで味わうことは出来るはずだ。本作品はレネの皮肉に対して呼応した作品として観光客を糾弾するだけの映画ではなく、どのように歴史を語り継ぐべきかという観光地としての在り方すら議題に挙げている。そして、観光客は一辺倒に罵倒されているわけではなく、苛烈な皮肉とともに受け入れられているのだ。末恐ろしい映画だ。

戦後71年が経ち、20世紀最大の恐怖は無関心と歴史修正の中に埋没していくのか。本作品はトランプとポスト真実の時代が到来した2016年に公開されるべくして公開された映画だった。収容所に来てその目で見て、肌で感じ、音声ガイドやツアーガイドの話を聴けば、少なくとも真実を知ることは出来るから。
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