女優としても活躍するケリー・オサリヴァン自身のナニー(子守り)の経験を元に脚本化、私生活でパートナーであるアレックス・トンプソンが監督した心温まる一本。
自分は劇中描かれる主人公ブリジットといま同い年で、来春には息子が小学校に入学する。
今回、偶然にも作品の登場人物設定がタイムリーな状態で本作を観ることができてよかった。
社会とか宗教、性自認、嗜好、SNSコミュニティなど、自分が何に属するか、によって大きく人の生き方は左右されるかもしれないけれど、でも結局はそういった属性に従う以上に、自分は自分であり、自分が信じることを受け入れることが大事なんだよ、と背中を押してくれるような、でも背中の押し方次第ではドッと涙が出てしまうかもしれない、温かい映画だった。
【感想】
主人公のブリジットは自分と同じく34歳。
この年齢設定が絶妙だと思った。
大人になって働き始め、親元を離れてからだいぶ時間が経ち、仕事もプライベートもある程度のことは自分の意思ひとつでできる、けどその現状に自分自身の満足はおろか、むしろ親などの周囲からのプレッシャーがあるなか、一定出来つつあった生活基盤の見直しを迫られるような年頃。
そんなブリジットは、大学を1年で中退し、以来レストランの給仕として働いてきた。
母親にはFacebookで彼女の友人の近況を探られたりする。
ちなみに劇中、ブリジットが両親と公園で会う際、お母さんからは予告編にあったようなプレッシャーをかけられ、その間お父さんはずっと寡黙というか、全然娘と喋んないんだなぁ、と思っていたら、別れ際に「オイル交換しておけよ」と言うあの場面。
さりげないけど、実はお父さんはお父さんなりに娘の現在を気にかけていたことが自然と伝わる良いセリフだったなぁ。
そんな彼女は劇中、主に2つの出会いをする。
ひとつは年下のジェイスと、ギター教室にいる年上の男性。
そしてもうひとつはナニーとして面倒をみるフランシスと、その家族。
ブリジットにとってジェイスは、ブリジット自身の自己認識とのギャップも含めて「この子はまだ社会を知らなすぎる」と思って、だからこそ魅力を感じていなかったのかな。
なにが感情日記だキモっ!と。笑
ジェイスは中絶にも立ち会おうとするなど、ブリジットに対し一見献身的で優しい。
でもこの映画は、親からのプレッシャーを含む、他者からの干渉抜きに、不器用でもなんとか毎日を過ごしている人たちの一生懸命さを受け入れる作品なのかな、と。
だからこそ、ブリジットはジェイスの献身さを求めている訳ではなく、また、一夜で終わるような体の関係を求めている訳でもない。
この毎日を生きている自分を自分で受け入れること、そして同じように一生懸命過ごしている人が自分以外にも理解することこそが彼女にとって大切なのだと思った。
ワンナイトの関係で、ブリジット自身は心理的には相手を受け入れているのにも関わらず、体はそうではないことを示唆するかのように彼女の体は正直に反応する。
一方のフランシスとその家族、マヤとアニー。
厳格なカトリック教信仰のあった、高齢出産者であるマヤ。
同性であるマヤと結婚し、アフリカ系としてアメリカで暮らすアニー。
2人の愛情をいっぱい受けながら、もう時期小学校入学を迎えるフランシス。
彼女たちの三者三様はそれこそブリジットにとってもやがて大切な存在になっていく。
一見すると自らを律して働くアニーは格好良く見えるけど、ブリジットに打ち明ける、彼女が受けたショッキングな出来事には観ている自分としてもハッとさせられる一面を垣間見る。
そしてアニーとのディスコミュニケーションが深刻化すればするほど、高齢出産で安定しない心身のバランスに衰弱していくマヤ。
恐らくはブリジットと出会う前の彼女はもっとハツラツとして聡明な人柄だったであろうことが伝わる。
そんなマヤが、ずっと腹に溜め込んでたストレスが一気に抜けていくかのように、ブリジットと打ち解けるキッチンの場面は、笑い合いながらも涙が出てきてしまう2人同様、観ている自分も込み上げてきそうになった。
そしてフランシス。
もう時期小学生になる。
マヤとアニーが喧嘩をすればどうなるのか、なんとなく理解し始めている。
弟が生まれたことでマヤに起きた変化も薄々気付いている。
性格は形成されていくけれど宗教や人種、性自認などのカテゴリーに基づく画一性はまだなにもない、真っさらな彼女の未来に、ブリジットもまた図らずも活力を見出されていく。
映画タイトル『セイント・フランシス』の意味合いが本作に更なる余韻をもたらしてくれる。
キリスト教のなかでもカトリックやプロテスタント福音派のなかには根強く中絶を認めないところはある。
ドナルド・トランプは2016年の1期目のとき、中絶禁止を公約に掲げて福音派から支持を得たという。
劇中、「Black Lives Matter」のほか、「Unborn Lives Matter」の文字が目に入る。
まだ妊娠間もないことから、飲み薬で中絶を経験したブリジットからすれば、Unborn Lives=胎児の命、の重さを自分ごととして実感できるのか。
中絶を肯定されない社会における彼女自身の人権はどうなのか。
本編鑑賞後、監督インタビューなどを調べると、「ロー対ウェイド判決」という用語が頻出する。
1973年に起きたロー対ウェイド判決は、長年アメリカで中絶の権利を認める論拠とされ、裁判で度々判例として用いられてきたという。
ただ、2022年にドブス対ジャクソン女性健康機構事件では連邦レベルでは保護されていない中絶をミシシッピ当時の州法では合憲とされないとして判例を覆す最高判決が下され、アメリカ国内で大きな論争を生んだ。
先のトランプ政権1期目に掲げた公約といい、この判決結果といい、アメリカでは銃規制と並んで人口中絶を巡る論争は重たい話題。
という背景を踏まえても、本作は社会性にそこまで切り込んだりはしない。
あくまでもブリジットにとっての居心地の悪い社会、規範として背景がさりげなく描かれる程度。
「人間だって信じられる」
彼女が途中、ある人物にかけるこの言葉は、本作の暖かい感動を生むひとつの要素としてとても印象に残った。
国や地域、年齢、性別、性自認、SNS…
属するコミュニティによって人にどう見られる、どう思っている、というフィルターはかけられる。
でも、この心は自分のものだし、当然この体も自分のものである。
ということを自分自身が理解し、同じく他者に対しても同じ気持ちで理解を示すことこそが生きる上での根幹として大切にしないといけない部分なのかな、と映画を観て思った。
ラスト、フランシスとブリジットの会話。
タイトルに『セイント・フランシス』とあるだけに恐らくはかつて弟同様に洗礼を受けたかもしれないフランシスは、そんなこと関係なくピュアで、まっすぐ成長していっている。
それは一夏しか過ごしていなかったブリジットにも伝わる。
そんなフランシスからブリジットへの約束にはまたも込み上げてしまった。
当然、私は男性なので本作における"生々しいグレタ・ガーウィグ監督作"というべき本作における女性像、描写は理解できないところもあった。
そこは妻にも是非観てもらい、どう思ったか感想を聞いてみたいと思った。