このレビューはネタバレを含みます
精神病の痛痛しさが描かれた作品
男は最低限以上の気遣いはできていた。というかなすすべが無い彼を悪く言うのは酷である。
男の気遣いが足りないという人は
じぶんがパートナーや友人に全く不満を持たれたことがない自信でもあるんだろうか。
彼女の気質と精神病という状態ゆえの、
不満の原因に見当を付けはっきり伝えることと、ストレスの度合いをを自身で把握すること。
この2つの精神を安定させる重要な能力が欠如している人間への対処は並大抵の難易度ではない。
本人に聞けばいいだろうと?
それも難しい、本人も何が不満で何がしたくて、どうしてほしいのかもよくわからないのだ。結果逃げるしかなくなるのだ。
結末について、新たな道を歩き出したような
肯定的な描写に見えたと思う。そう見えるように作ってあるだろう。
だが決して違う。ただ逃げただけである。
他の家族が気にしてはいない出生の瑕疵をずっと引きずっていたような彼女であるからして
堕胎したという過去も今後、無自覚なストレスとなりつきまとうだろう。無自覚の理由は自分は正しい選択をしたと一方の面では本当に思うからである。子供ができたことを一瞬も、嬉しく思わない女であれば堕胎したことはストレスにはならないだろうが嬉しそうにしていた描写がある時点でまた一つ傷が増えたと言わざるを得ない。
ふとした瞬間に思うのだ、もし私が普通の人間で子供もちゃんと産めて家族で幸せに暮らせたのならと。その次の瞬間には現実だ。自分の不甲斐なさ、後悔、罪悪感、誰にも理解されると思えない孤独感がまざった、
吐くものがなにもないときの吐き気のような感覚を覚えるだろう。
これからもストレスを誤魔化しながら逃げ続ける人生しかない。
ちなみに精神病だと些細な否定を拒絶と受け取り激高し敵だと認定することがあります。相手は好意的なのにです。
実家への電話がわかりやすいそのシーンでしょう。