MARCHを配信している動画配信サービス

『MARCH』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

MARCH
動画配信は2024年4月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

MARCHが配信されているサービス一覧

『MARCH』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

MARCHが配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
クランクイン!ビデオ
JAIHO
ザ・シネマメンバーズ
スターチャンネルEX
みるアジア
WOWOWオンデマンド

『MARCH』に投稿された感想・評価

【人と人】

「~若輩者が言い過ぎるかもしれませんが、でも、我々はミカンや機械を作ってるんじゃないんです!!我々は毎日人間を作っているんです!!人間のふれあいの中で生きているんです!例え世の中がどうであれ、教師が生徒を信じなかったら、教師はいったい何の為に存在しているんですか?お願いです!!教えてください!!」

あまりにも有名な「金八先生第2シリーズ」のクライマックス。

桜中学の加藤勝が転校前に通っていた(半ば追い出された)荒谷二中の教師の横暴を見かねて、親友の松浦(沖田浩之)と学校へ乗り込み、放送室に校長先生を監禁してしまうという金八史上「最も有名な事件」を起こしてしまう。
加藤たちは何も先生を懲らしめようなどと考えたわけではなく、不良たちをただ追い出すのではなく、向き合って、教えてやってくれと要求するのです。そして、卒業式直前に停学となったやつらもきちんと卒業式に出席させてやって欲しいと願うのです。
方法は乱暴ですが、それでも彼らの心の叫びにも一理あって、さらに警察に連行される際の演出(警察にボコボコにされる中学生たちの姿をスローモーションで流し、バックには中島みゆきの「世情」が流れるという神演出以上の鬼演出)もあって、加藤たちは悪いことをしたんだけど、許してやって欲しい・・・視聴者の気持ちがグッと傾いたところでの「あの有名な」激論シーンです。桜中の先生方、荒谷二中の先生方、そして警察関係者。
双方の主張が激しくぶつかりあう中で、責任逃れを繰り返す荒谷二中の教師に対してそれまで我慢していた金八先生が堰を切ったように叫んだのが冒頭の言葉でした。
何度見ても泣いちゃう。

ホントにね、そう思うんですよ。

それまであまり意識したことなかったけど、私たちは「人間のふれあいの中で生きているんだ」なあって。

昨今の新型コロナの影響で「リモート」だの「オンライン」だのがトレンドワードとしてどんどん飛び交うようになった。
まあいい。それはそれで便利な側面もあるし、それによって新たな風が吹く場所もあるだろうし。

でも・・・本当にそれでいいのかな。というか、それで全て解決するのかな?
今は「肉体的(物質的)な距離」をとることは必要だけど、何故か「精神的な距離」までとり始めてしまった気がする。
それどころか、何故か敵視まで始める始末・・・。

金八先生のいう「人間のふれあい」は、何も「隣に居ること」をだけを指しているわけではない。
人間が人間と接することで「優しさ」だったり「慈しみ」だったり「共感」だったり「嫌悪」だったり、そうすることで他人との付き合い方だけではなく「自分は何者か?」を気付くことが出来る。自分が何者で何が出来て何が出来ないのかを知るから、人は人と接することが出来る。時には他人の不足を埋めてあげたり、自分の不足を埋めてもらったり。
他者に想いを寄せることこそが「繋がり」を産むのだと思う。

だからこそ「人間のふれあい」って必要なんだと思う。


この作品は3.11震災の被害にあった子供たちのお話し。
特別「大きな成長の過程」とか「奇跡的な出来事」を描くわけではなく、彼女たちが心に秘めた切実な願いを潰してはいけないと、周囲の大人たちの「優しさ」が彼女たちに笑顔を取り戻させてくれたという「ふれあい」を綴っている。

放射能という目に見えない敵に怯え、そこでの日常を諦めざるを得なかった人々。
「南相馬」という地名を聞くだけで闇雲に嫌悪する人。
みんな「生きていくために」他人と距離をとることを選択せざるを得なかった。
でも、そこで思考停止した人たちは「ソーシャルディスタンス」と「人のふれあい」の意味を深く考えなかった。
いつしか他者との距離をとった行く末が「対立」になってしまった。

どうしてこんなことになってしまうんだろう・・・。

福島の子供たちが夢を見ることは罪なのだろうか?
彼女たちが今日も元気に生きていることが誰かの不愉快に繋がっているとでも言うのだろうか?

「ふれあい」の本当の意味を知っている人間は必ずいる。彼らは色々な形で人間とふれあう。そしてそこには袖触れ合うような距離じゃなくてもお互いを思いやる心が生まれる。
遠く離れた「愛媛」の地で彼女たちが出会った「人」たちは、生涯忘れられない存在になったのではないだろうか?

「『頑張れ』って、言うのは簡単だけどさ・・・。」ってよく聞くよね。
でも、あれだけ大きな声で思いっきり応援されたら、やっぱりグッと来るもんだよ。
第三者の僕ですら涙が溢れた。
見ず知らずの人たちとの繋がりだけど、近くにいても体温すら感じない名目上の繋がりより何倍も温かい。

この子達は大丈夫、きっといい大人になれる。そう思う。

「MARCH」未来へ続く行進曲。





あと、本当は子供たちの手本にならなければいけない大人たちへ。

「少子化問題」とは常に日本が抱えている難題。実質的に子供の数が少ないから。
だけど本当の意味での「大人」も少ない。実はそれこそが大問題なのではないだろうか?





では皆さん、「また劇場で」
南相馬市で被災した子どもたちによるマーチングバンドSEEDS+を描くドキュメンタリー。愛媛FCが試合に招いている。改めて、サッカーを愛するものに、Jリーグを愛するものに(基本的には)敵は無いことを実感すると共に、存在を知っていながらここまで見れなかったことに後悔を覚えた。
 単に立ち上がり、試合前パフォーマンスで出来ました、で済ませずJヴィレッジの仮設住宅なんかも映し、復興への強い意志を伺わせる。
 SEKAI NO OWARIの「RPG」の歌詞が胸に響く。が、結構それ一本押しなので我に帰ると少しクドさも感じる。
3.11から12年。自粛モードの中でJリーグも試合中止を余儀なくされたと聞く。
もちろんサッカーどころではなかったのかもしれない。
それから3年後、Jリーグを応援し始めてさらに6年後、コロナによってまたサッカーは中止や無観客での開催わ強いられた。

自粛、不要不急といった困難を乗り越えてスタジアムにサポーターの声援が戻った時、それは大きな力になったと思う。

今回の南相馬の子どもたちに向けたコールや僕の応援する川崎フロンターレから送ったベガルタ仙台への声援。
試合中は敵同士、時にはブーイングも辞さない関係だけどピッチ外では同じ人間としてリスペクトし合える。

応援なんて自己満足でしかないのかもしれない。それでもその声で、その想いで少しでも勇気付けられる人がいるなら声を出し続けたいと思う。

マーチングバンドへの密着でもう少しサポーターとの交流やサッカーとの交流があると良かったけど、応援や音楽の持つ力を再認識出来る作品だった。

YouTubeのJリーグ公式で限定公開中